確かに未来はある

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確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない。(箴言23:18)
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旧約聖書では、『未来』は、『アハリート(背後)』というのだそうです。
後ろを向きながらボートを漕いで前進する、イメージに、ハッとしました。
後ろ(過去)を振り返ってみたとき、記憶に残っているのは、良いこともあれば、
苦い失敗の経験もある。

「失敗」は、心に残りやすいかも。
それで前に進めずにいたことも、たくさん思い出されますが、

「失敗」にも、「良し」と思えることが色々あります。

「失敗」から、もっと大きな視点が生まれることがあったりします。

失敗経験を話すとき、それが、ほかのだれかを励ますことに繋がっていたりする。
何よりも、その失敗により、学びを得て、立ち上がっていく経験も、
振り返ってみれば、数多く経験していることに気づきます。

今の自分がいるのは、あの時のことがあったからだ、と、思えて、感謝できたなら、いいなと思います。

一方で、失敗やネガティブな経験の記憶は、けっこう根強い?と感じることもある。
過去を、振り返ってみると、
立ち直れないような出来事が尾を引いて、
次に行く道が分からないことが、多々あった。

また、わたしたちは、
身近なひとが、過去のつらかった経験に、
長い間苦しんでいる姿を見るときに、心が痛むことがあります。

しかし、
そのような、ひとりの人間の苦しみ、失敗、傷ついたことのすべてを、神さまはご存知でいてくださる。

イエスさまが、ナインの町に行かれた時のことでした。
町の門の前では、ちょうど、やもめの女性が居ました。亡くなった一人息子の棺が担ぎ出されるところだったのです。

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主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。(ルカ7:13 )
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このあと、息子は、イエスさまの「若者よ、あなたに言う。起きなさい」の言葉によって、生き返った。そして、イエスさまは息子を母親のところに返された。

「もう泣かなくともよい」

イエスさまがやもめの母親にかけられた、深い憐みのことばは、今のわたしたち一人ひとりにも、語りかけられている。

わたしたちが、悲しみの中を生きている時や、過去の失敗に立ち止まっている時、イエスさまの、慰めのことばが思い出されます。

また同時に、わたしたちは、
多くの人たちに、愛されて支えられ、祈られて、今がある、ということを見ていきたい。

主にあって、希望が断たれることはない、と信じて、
愛をもって進んでいきましょう。

(おまけ)

昨日、イヤホンをつけて、

そこから流れてくる音楽を聴きました。

当然、イヤホンを外すと、

音楽以外の音が、耳に入ってきます。

自分の耳は、普段から、

いろんな音を拾って生きているのだということに、

改めて気づかされました。

いろんな音の中には、

自分の心の声も、含まれています。

イエスさまは、

「耳のある者は聞きなさい(マタイ13:9)」と仰った。

み言葉を、聴いて、受け取ることができているだろうか?

別の音に、気持ちが散っていないだろうか?

イヤホンの中で、

集中して聞く音楽は、

そのことを教えてくれました。

神さまは、いつだって、

教えてくださる。

神さまを求める心をもって、み言葉を、

聴いて、受け止めることができますように。