帰るホームがある その②
父から与えられた財産の使い道は、息子たちの自由でした。
わたしたちも、神さまから与えられているものを、
どのように使うかは、私たちに委ねられています。
自分が自由にすることができる、
時間、お金、能力、賜物は、
他の人のためにも、他の人を助けるためにも、
使っていきたいと思う。
これらは、元々、神さまが与えてくださったものだから。
心に留め置きたい。
——-野球実況場面③「放蕩息子のお兄さん」———-
「この家に、日はまた昇りました。息子さんの帰宅により、祝宴の音楽と喜びの声が響いています・・!おや、今度はお父さんの姿がありません。あ、お父さんがいました。家の外で誰かと話しています。あれは・・もう一人の息子さんですね。帰ってきた息子は弟さんで、こちらは、お兄さんですね。お兄さんは怒っているようにも見えますが、お父さんが今、お兄さんのそばに駆け寄って、なだめているようです。」
———————————————
放蕩息子には、お兄さんがいた。お兄さんは、真面目に、父親の元で働いていた。財産無くなって、スッテンテンになって帰ってきた弟に、とても良くしてあげてるお父さんに対して、ものすごく腹が立っていた。
お兄さんはお父さんに言いました。
*******************************
「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。(ルカ15:29,30)
*******************************
お父さんのそばにはいたけれど、弟の帰宅祝いを見て怒りが爆発。「こんなに自分は頑張っているのに!」という思いが手放せず、お兄さんもまた、帰る家(ホーム)を見失っていた人なのでした。
お父さんは、お兄さんに言いました。
*******************************
「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」。(ルカ15:31)
*******************************
どっちが真面目で、どっちがそうでないとか、
神さまは、そういうことで、人を見ておられない。
神さまは、神さまと共にいるひとりひとりのことを、見ておられる。
真面目に働いていたお兄さんにも、放蕩していた弟にも、
神さまは、同じことを語られている。
父なる神さまの愛によって、
わたしたちは、慰められ、赦されて、
愛されている。
誰でも、安心して、帰ることが出来る、ホームがあることは、
ありがたいことです。
***
(おまけ)
礼拝後のあと、子どもたちが集って、卓球をしています。
大人も混じって、試合やラリーを楽しんでいます。
みんな、だんだんと上手になっていて驚きです!
卓球台は、教会に、
とても長い間、置かれているそうです。
一体、何人のひとが、この卓球台で、ラリーを楽しんだことでしょう。
神さまは、その卓球台のことも、
そこに集うひとりひとりのことも、すべて知っておられる方、
主のもとに、帰って来る人を、
喜んで迎えてくださる方だ。
安心して憩うことのできるホームがあることを、
感謝して、共に喜びをもって、
今週も、過ごしていきましょう。