帰るホームがある その②

父から与えられた財産の使い道は、息子たちの自由でした。

わたしたちも、神さまから与えられているものを、

どのように使うかは、私たちに委ねられています。

自分が自由にすることができる、

時間、お金、能力、賜物は、

他の人のためにも、他の人を助けるためにも、

使っていきたいと思う。

これらは、元々、神さまが与えてくださったものだから。

心に留め置きたい。

——-野球実況場面③「放蕩息子のお兄さん」———-
「この家に、日はまた昇りました。息子さんの帰宅により、祝宴の音楽と喜びの声が響いています・・!おや、今度はお父さんの姿がありません。あ、お父さんがいました。家の外で誰かと話しています。あれは・・もう一人の息子さんですね。帰ってきた息子は弟さんで、こちらは、お兄さんですね。お兄さんは怒っているようにも見えますが、お父さんが今、お兄さんのそばに駆け寄って、なだめているようです。」
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放蕩息子には、お兄さんがいた。お兄さんは、真面目に、父親の元で働いていた。財産無くなって、スッテンテンになって帰ってきた弟に、とても良くしてあげてるお父さんに対して、ものすごく腹が立っていた。

お兄さんはお父さんに言いました。
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「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。(ルカ15:29,30)
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お父さんのそばにはいたけれど、弟の帰宅祝いを見て怒りが爆発。「こんなに自分は頑張っているのに!」という思いが手放せず、お兄さんもまた、帰る家(ホーム)を見失っていた人なのでした。

お父さんは、お兄さんに言いました。
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「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」。(ルカ15:31)
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どっちが真面目で、どっちがそうでないとか、

神さまは、そういうことで、人を見ておられない。

神さまは、神さまと共にいるひとりひとりのことを、見ておられる。

真面目に働いていたお兄さんにも、放蕩していた弟にも、

神さまは、同じことを語られている。

父なる神さまの愛によって、

わたしたちは、慰められ、赦されて、

愛されている。

誰でも、安心して、帰ることが出来る、ホームがあることは、

ありがたいことです。

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(おまけ)

礼拝後のあと、子どもたちが集って、卓球をしています。

大人も混じって、試合やラリーを楽しんでいます。

みんな、だんだんと上手になっていて驚きです!

卓球台は、教会に、

とても長い間、置かれているそうです。

一体、何人のひとが、この卓球台で、ラリーを楽しんだことでしょう。

神さまは、その卓球台のことも、

そこに集うひとりひとりのことも、すべて知っておられる方、

主のもとに、帰って来る人を、

喜んで迎えてくださる方だ。

安心して憩うことのできるホームがあることを、

感謝して、共に喜びをもって、

今週も、過ごしていきましょう。