復活の主イエスとの朝食

イエス・キリストの復活を記念する、イースター礼拝でした。
イエスさまは、十字架の受難を通られ、死と葬りのあと、3日目によみがえられました。
主の復活、おめでとうございます!

その後、復活されたイエスは、ティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現されました。弟子たちに現れたのは、これが3回目の出来事でした。

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シモン・ペテロが「わたしは漁に行く」と言うと、
彼ら(ほかの6人の弟子たち)は、「わたしたちも一緒に行こう」
と言った。彼らは出て行って舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何も取れなかった。(ヨハネ21:3)
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弟子たちは、イエスさまを失い、大きな挫折を味わった。
ペテロは、再出発のきっかけとして、今、できることを模索した結果、以前の仕事に戻ろうとしたのでしょう。しかし、追い打ちをかけるかのように、その晩、魚を一匹も取ることが出来なかった。
舟を岸に戻そうとした夜明けのとき、イエスさまは、岸辺に立っておられて、弟子たちに現れたのでした。

釣果ゼロの弟子たちは、イエスさまの言うとおりに、舟の右側に網をおろした。すると、網が破けんばかりの多くの魚がとれた。ひとりの弟子が気づいた。「あれは主だ。」

バーベキューの準備はすでに整っていた。炭火の上には、パンと焼き魚。イエスさまは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。イエスさまが裏切った弟子たちを、朝ごはんで、もてなしてくださったのである。

イエスさまは、ペテロを弟子にした時(ルカ5:1~14)、
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「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5:10)
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と、イエスがペテロに言った時と同じような「大漁経験」を、ふたたび、ペテロの前で、起こされたのでした。

挫折や失敗のあとは、、ペテロ達だけではなく、
わたしたちだって、
なんだか、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
引っ込みがつかなくなって、どのように再出発していけば分からない時がある。どうにもできない思いを心に抱えたまま、過ごす日が続くことも、あるだろう。

しかし、イエスさまは、弟子たちを、十字架に架かる前とひとつも変わらない愛を示された。
イエスさまは、人間の、弱さも何もかも、すべてを分かっておられて、包み込んでくださっている。

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朝の湖畔のバーベキューに、思いを馳せた。
十字架に留まるのではなく、イエスさまは、復活のいのちを、わたしたちに与えてくださった。新しく造り変えられ、わたしたちは、生き生きとした希望を、与えられた。

人生に挫折したり、失敗してしまった人に対して、どのように関わっていけばいいのか。イエスさまは、わたしたちに、そのようなことも問いかけ、教えてくださっていると思う。

イエスさまの愛を受けて、その光を、周りに放っていけたらと思う。だれかの真似ではなく、神さまのオリジナル作品としてつくられた、あなたを通した清い光が、広がっていきますように。

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(おまけ)

「今年は、桜の開花がゆっくりだよね」という話をしていた。

すると、姉妹が、教えてくださった。

「冬の寒さが不十分で、『休眠打破』がうまく行われないと、開花が遅れてしまうのよ」

桜の花芽は、寒い冬に入る前に、成長を止め、休眠する。そして桜の木は、冬の厳しい寒さに当たり、再度、花芽は目を覚まします。これを『休眠打破』という。そして、暖かくなって春が来ると、成長し、開花するのだそうです。チューリップなども同じなのだそう。一定期間、低温を経験することが必須。開花するためには、春の暖かさだけではなく、冬にしっかりと、寒さにさらされることが必要なのだと知りました。

「休眠打破」する桜やチューリップのことが、

寒さという試練の中を耐えしのんで、そこから、立ち上がってゆく、ひとりの人のようにも思えました。

休眠。・・今は眠っている。花は死んではいません。

しかし、イエスさまは、十字架の死と葬りを経験されました。
そこから、死を打ち破り、3日目によみがえられました。

イエスは、私たちの罪ために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。悲しみが喜びに変えられた。

失敗や挫折の経験は、痛いし、寒いし、きついですが、
今の寒さも、十字架にたどりつくためだったと、あとから思うのです。十字架は復活の光へ向かう道です。「休眠→十字架→打破」です。
痛みが痛みだけで終わらないところに希望があります。

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「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。(イザヤ60:1)
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というみことばを思い出しました。

4月からも、イエスさら受けた、
愛の光を、放っていきましょう。