誰かを大切に思う

1~2月の畑は、土のリフレッシュ月間で

冬野菜の収穫後に、土の天地をひっくり返します。

土の中の細菌を、冬の風に当てて殺菌するのです。

土に残った野菜の根っこも取り除きます。

冬の寒い土の中を起こして、

そこに残っていた野菜の「根」にふれたとき、

ああ、

花も実も、この大地に埋もれた根から、

成長していたのだなあ、と、気づかされた。

わたしは、野菜が成長する間、

根のことを考えていたのだろうか?

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「愛」を表す言葉が、ギリシャ語では、3つほどある。エロース(恋愛などの熱狂的愛)、フィリア(友情などの穏やかな愛)、アガペー(神の愛、与える愛)。

言葉では分けられたとしても、わたしたちから誰かにあらわれる愛は、渾然一体としている。表情や態度に現れる度合いも、それぞれ、ちがう。顔に出たり出んかったり。言葉に現れたり、静かに愛したり。だから、誤解が生じたりして、悩みにもなるのだけれど。愛のあらわし方は、ほんとうに、十人十色。

愛することは、「誰かを大切に思う」ことでもある。

「誰かに大切にされている」と感じられたら、とても嬉しい。悲しみが喜びにかわる。

その愛は、とても小さく、静かで、ささやかな姿かもしれない。

耳をすまして受け止めれるような、心持ちでいたい。

また、わたし自身が、

「神さまに愛されている」ことが分かったら、

自分自身のように、誰かを大切にすることができるだろう。

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ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。(Ⅰサムエル18:1)
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ヨナタンは、自分のことを、大切にできていたのだと思う。

ヨナタンとダビデは2人とも、主なる神さまを愛していた。

だから、お互いを、大切に思う気持ちを持続できたのだと思う。

いろいろな試練も起こった。

それでも、2人の友情は、ゆるぎなかった。

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愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
(Ⅰコリント13:4~7)
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愛は忍耐強い、という箇所が、心にとまる。

イエスさまの愛は、アガペーの愛、与える愛。

イエスさまは、忍耐をもって、

わたしたちを愛して下さっている。

大切に思ってくださっている。

あるとき、イエスさまは、迷った羊についてのたとえをされました。
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「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。
言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。・・ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば。九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずに九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたの天の父の御心ではない。」(マタイ18:10~14)
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神さまは、困難の中にある人と共におられる。

イエスさまは、99匹の羊たちを、安全な山に残して、

たった1匹で迷っている羊を捜される方だ。

たったひとりと、出会うことを求められる方だ。

イエスさまは、まず、わたしを見つけ出し、

愛して、ゆるしてくださった。

イエスさまの愛は、すべてに耐える愛だ、と思う。

この愛を教えていただきながら、

今週も、過ごしていこう。