目を留めてくださる主

この季節になると、地域や学校で次年度の役員選出が行われる。我が家の小学校区域での役員決めは、「くじ引き」で決めることが多い。公平な決め方なので、みんなドキドキしながらも、けっこう盛り上がる雰囲気にもなるから、この日だけは、ちょっと不思議な特別な感覚になる。「空くじなし!全部役員の名前が書いてあるよ!」という年は、けっこう盛り上がったなぁ、と、思い出した。たとえ、それが、大役であっても、「はい、やります」と、空を見上げて、決心する気持ちにさせられる力が「くじ引き」にはあるな、と思いながら、わたしは小学校最後の務めを、終えようとしている。もう年末。早い。そして、今週より、イエスキリストのご降誕を記念するクリスマス・アドベント(待降節)が始まりました。

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ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。(ルカ1:5)
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この夫婦は、イエス誕生の半年前に生まれる、「洗礼者ヨハネ」の両親です。
イエス誕生のファミリーヒストリーがあると同じく、洗礼者ヨハネにもファミリーヒストリーがあります。

祭司ザカリアは、「神殿の中に入り、香をたく務め」という、名誉な奉仕を選ぶ「くじ引き」に当たった。そのお務めの途中、主の天使がザカリアに現れた。天使は、ザカリアとエリザベトの間に男の子が生まれるということ、その子をヨハネと名付けなさいということ、この子は救い主の道備えをする子だということを、ザカリアに言った。

夫婦は年をとっていたし、ザカリアも「信じられない」と、不信仰に陥った。エリザベトにも子が授からないことで恥を持っていた。しかし、月は満ちて洗礼者ヨハネは誕生した。主のご計画は実現したのである。

エリザベトは身ごもって5か月の間身を隠していた時に、このように言っている。
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「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」(ルカ1:25)
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洗礼者ヨハネも、幾度となく、ザカリア父さんから、ヨハネ誕生までの恵みの証しを聴いたことでしょう。天使が言った通り、ヨハネという子は、ザカリアの喜びと楽しみであったことでしょう。その後ヨハネは、自分の歩む道においても、神さまの存在を感じながら、ザカリア父さんの証しを思い出すことが、何度もあったかもしれません。

わたしたちも、日々、自分の道や、まわりの人達の中に、聖霊さまがはたらかれていることを体感しています。その証しにふれるとき、わたしたちは、その人の軌跡の中に起こった、神さまのなせる業のすばらしさに、いつも驚きます。

洗礼者ヨハネ誕生の後、ヨセフとマリアの元に、救い主イエスさまがお生まれになりました。そして、イエスさまは、人の罪をすべて負うて、十字架に架かられ、3日後によみがえられました。

イエスさまは、何の罪もないのに、尊い犠牲を払って、人の救いを、達成してくださった。
そのよみがえりの力の中に、わたしたちは、日々支えられて生きています。
試練は試練で終わらず、闇は光に打ち勝てないことを、イエスさまを通して、わたしたちは体感しています。

救い主イエスがお生まれになった、クリスマス。
この喜びと愛を、届けていきましょう!

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~おまけ~

家族で一番くじ引きの良い次男が、食パンを食べていた。
その食べ方が、いつも、四つの角から食べていく。
わたしはいつも、端から順番に食べていきなさい、と注意するのだが、
何故か、この日、4つの角をかじられた食パンが、十字架に見えた。

「十字架のかげに いずみわきて
いかなる罪も きよめつくす

おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで」

(十字架のかげに・聖歌396)

主よ、
この身を、主の十字架のかげに
おらせてください。