荒野に道を、荒地に川を

ある日、Youtubeで
「無人島に行ってキャンプ(水・食料は現地で調達)をする」動画を観ました。
島に到着してからは、まず始めに「水源探し」をするのですが、
時間とともに体力が消耗するため、大変な労力を要します。
川が見当たらないところで水を見つけることは、簡単ではありませんでした。

キャンプには、自ら設定した時間制限があるけれど、
わたしたちの生活は、人生は、続きます。
その終わりも、自分では分かりません。
荒野を彷徨うかのように、辛い時期を過ごすことがあります。

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「見よ。わたしは新しい事をする。今もうそれが起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19)
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「荒野に道を、荒地に川を設ける」という御言葉をそのまま受け取るならば、
わたしたちの人生への態度は、変えられていくでしょう。

人は同じことを繰り返す、とコヘレト(伝道者)は嘆いたけれど、コヘレトは、このようにも言っています。
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「昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない」(伝道者の書7:10)
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神さまの御業は、同じことの繰り返しではなく、

それは、日々展開されており、

わたしたちは、前に向かって進んでいる。

パソコンやスマートフォンが、たまに、

「システムのバージョンアップをしますか?」

と尋ねてくる。

わたしたちは、イエスさまに打ち明けながら、

罪という名のバグを真っ白にされて、

日々のバージョンアップを繰り返しているのだと思います。

主のはたらきによって、

乗り越えられたことは、いくつもある。

これを覚えていたい。

わたしたちの人生の前に、荒野がなくなるわけではないけれど、

主は、「 ”確かに” 道を設ける」と言われる。

その約束を信じて、

主に期待していきましょう。

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雨があがりました。庭のクレマチスが満開です。

主にあって、よい連休となりますように!