主イエスの決意

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イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。(ルカ9:51)
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その際に、イエスさま御一行は、サマリヤという地方を通ることにしたが、ユダヤ人であるイエスさまは、サマリヤ人に歓迎されなかった。サマリヤ人とユダヤ人の間には、歴史的に長い間続く深い憎悪があった。ユダヤ社会の中で、サマリヤ人は差別されている側の人々であった。

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弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼ら(サマリア人)を、焼き滅ぼしましょうか」と言った。しかし、イエスは振り向いて、二人を戒められた。(ルカ9:54,55)
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-(弟子のヤコブやヨハネのように)仕返しをしたくなった時はありますか?-

「やられたらやり返す」みたいなことを、出来る力は、ないと思う。
処理できるとしたら、そっと、その場から居なくなることくらいかな・・できることなら、その時は、にこやかでいたい。
そして、サマリヤの女のように、
ひとりで、水を汲みに行くようになる気がします。

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イエスさまは、かつて、ひとりの女性に会いに行くために、サマリヤへ出向かれたことがある。井戸のそばに座って、その女性を待っておられた。イエスは、彼女に言った。
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「この水を飲む人はみな、またのどが渇く。しかし、わたしが与える水を飲む人は、永遠に渇くことがない。
それどころか、わたしが与える水は、その人の中で泉となって、永遠の命に至る水が湧き出る。」(ヨハネ4:13-15)
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イエスは、この御言葉を伝えるために、女性に会いに行ったのだった。
イエスさまは、飢え渇いているひとを、誰よりもご存知で、そこに出向いていかれる方である。
誰も届かない心の深い傷ところに、寄り添って、癒してくださる方である。

また、旅の終盤、イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。(ルカ17:11)
そこに、イエスさまに向かって助けの声を張り上げた人々がいた。重い皮膚病を患った人々が10人いた。イエスさまは全員の病を癒された。癒された10人のうち、たった1人のサマリヤ人だけが、イエスさまのところに駆け寄って、主を賛美した。イエスさまはそのサマリヤ人に言った。
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「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを救った。」(ルカ17:19)
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あるドラマ。
なんとなく食い違って、
気まずくなりながらも、仲直りした夫婦のことば。

☆夫の思い:
-僕が謝ったのは、自己満足だった。
謝ることで自分が楽になろうとしていただけ。
謝るのって、むずかしい。

☆妻の思い:
-私は別に怒っていない。
でも、たまには釘を刺しておかないと。
またあの顔されると、イラっとくるしね。

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私たちは、あらゆる人間関係の中に生かされている。
ちょっとしたことで、相手の気持ちを見失ってしまうことがある。
しかし、それを乗り越えようとする時間は、
双方にとって、決して無駄な時間ではない。

関係の修復においても、主に委ねていこう。