主のおしえを喜びとし
朝、目覚めたら、首と背中に痛みが走った。
寝違えたようである。
外に出ると、暖かく、いい天気だった。
庭の木で、ウグイスが「ホーホケキョ」と鳴いていた。
枝に留まっているウグイスを見ようとして、首を少し上に傾けた。・・・痛い。無理。
下なら向けるかもしれない、と思って、
庭の雑草取りをしようと思って、下を向いた。・・・やっぱり、痛い。下も無理。
上も下も、向けない。もちろん、右も左も。
カナンの地に入る前のヨシュアも、こんな感じだったのかな。
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エジプトからの脱出でイスラエルの民を率いたリーダーのモーセは、目的地カナンを目の前にしながらも、自身はカナンに入ることはできなかった。モーセは、イスラエルの民が路頭に迷わないために、新しいリーダーを送ってください、と、神さまに祈りを捧げた。神さまは、長年モーセに仕えてきたヨシュアをリーダーにするように、と、モーセに言った。
召命を受けたヨシュアのプレッシャーの強さは誰にも分からない。
そのヨシュアに、今度は、神さまが、語りかけた。
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主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。(ヨシュア1:1)
・・・
わたしは…、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。…。ヨシュア1:5,6)
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続けて、神さまは言われた。
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…わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。(ヨシュア1:7,8)
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イエスさまも、律法の教えを大きく2つに要約して、伝えている。
・心を尽くし、思いを尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6:5)
・自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい。(レビ記19:18)
神さまは、どこまでも、私たち一人ひとりの幸せを考えておられる。主の教えを、昼も夜も口ずさみ、生きていってほしいと、願っておられる方である。教えを守るその人は、詩篇1:2にあるように、流れのほとりに植えられた木のようで、時がくれば実を結び、葉もしおれることがない人なのだ、と。
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寝違えた首が痛まないように、仰向けになっていた。
わたしが学生の時だったろうか。父が言っていた事を思い出した。
「昔は、天井の木目を見るだけで、歌が詠めたものだ。」
父もかつて、天井を見ながら、
どこにも行けない苦しみの中にいたのかもしれないな、と思った。
歌を詠む、その余裕をわすれないことだ。
ヨシュアは、主の声を聴いて、とても励まされたことでしょう。
主の教えを喜びとして生きていくことを、
いつも選んでいきたい。
上下左右を向くことが出来なくても、
心を、主に向けることはできる。
天井の壁紙のひび割れを見ながらつぶやいた。
「歌いつつ、歩みましょう。」