愛する者のために

イエスさまの弟子のひとりであったヨハネは、福音書でこのように書いている。

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のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしのである。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。…わたしはあなたがたをと呼ぶ。…。(ヨハネ15:13~15)
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「友」とは、どんな人のことを言うのだろう?
人の数だけ、意見がありそうな気がする。
フランシスコ会訳では、友→愛する者、となっている。

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愛する者のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの愛する者である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。…わたしはあなたがたを愛する者と呼ぶ。…。(ヨハネ15:13~15)
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- 愛ゆえの傷跡を見たことはありますか?その体験はありますか?(自分でも、他の人でも)

- 他の人が、わたしのためにしてくれたこと、傷を負ってくれたことについて、
第一に思い浮かぶことは、「わたしのためにあらゆる時間を費やしてくれたこと」です。

わたしのために、自分の時間を使ってくれたこと、約束を守ってくれたこと、話をじっくり聴いてくれたこと、小さな変化に気づいてくれたこと、いろんな事で行き届かないわたしを、忍耐して待ってくれていること…など、数えきれないほどです。
これらのことを思う時、感謝してもしきれません。

その事実に、どうして応えたらよいのだろう、と、思う。
行動の伴わないもどかしさと、言葉にならないことばで溢れかえる。
しかし、このような、個人的な、小さなうめきさえ、主イエスはご存知だ。
イエスは、わたしを友(愛する者)と言っておられる。

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わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。(ヨハネ15:12)
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あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)
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ヨハネは福音書や手紙に、何度も「互いに愛し合うように」というイエスさまの掟を書き記している。
互いに愛し合い、赦し合うことは、そんなにカンタンなことではない。だからこそ、何度も、わたしたちに呼びかけているのだと思う。イエスさまは、そんな私たちを「友(愛する者)」と呼んでくださった。

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互いに愛し合う事の実践のために。

神さま、

人は、人が創りえないものによって存在していることを信じます。

だからこそ、

わたしの心や、だれかの心に、

または、

わたしと誰かの関係の中に、

人間によってつくられたものではないものを、

見出していくことができますように、助けてください。

そして、その「見えないもの」を軸として、

お互いに、交わりを深化させていくことができますように。

わたしの罪のために、命を捨てられたイエスさま、

これほど大きな愛はありません。

あなたは、わたしの友となってくださいました。

そして、十字架に架かられ、よみがえられました。

復活の喜びを、これからも、

語っていくことができますように。