主が命じておられる
信仰生活では、神さまから、何かを命じられることがある。
主が命じておられること・・それは、主が、その人をとおして、「神の御わざをされる」ということでもある。預言者エリヤの場合も、そのようなことがあった。
時は、ダビデ王・ソロモン王のあと。ユダヤの国は南北に分裂します(北イスラエル王国・南ユダ王国)。北イスラエル王国には、アハブ王という悪い王がいました。王も悪ければ、女王イゼベルも悪かった。そんな最悪王と最悪女王の支配下にあるユダヤの国に、神の命令により遣わされたのが、預言者エリヤだった。彼はアハブ王に悔い改めを迫る。
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・・エリヤはアハブに言った。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」(Ⅰ列王記17:1)
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そして、アハブ王の迫害と、干ばつが、エリヤ自身に及んだ。
神さまはどのようになされたのか。
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主の言葉がエリヤに臨んだ。「ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。わたしは烏(カラス)に命じて、そこであなたを養わせる。」(Ⅰ列王記17:2~4)
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エリヤは、カラスのお世話になった。(食べ物を運んできてくれた)
そして次に、神さまはエリヤに言われた。
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「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしは…やもめ女に命じてあなたを養わせよう。」(Ⅰ列王記17:9)
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そしてエリヤは、やもめ女に出会った。彼女は今日食べるものにも困っている飢餓状態の母子家庭であった。エリヤは、彼女に最後のパンを分けてもらったのだ。
しかし、エリヤがそれを食べると、女の持っていた壺の中の粉と、瓶の中の油は途切れることがなく、母子が食料に困ることは無くなった。それは主の仰せのとおりであった。
エリヤは、やもめ女のお世話になった。
エリヤは、主を信じて、
カラスを待ったり、飢餓状態のやもめにパンをくださいと言うことを、実行した。
神さまは、エリヤの必要を満たしてくださった。
エリヤを助けたやもめは、主を信じて、彼に最後のパンを差し上げた。
彼女は、神さまの奇跡を見ることになった。
どこに住んでいようと、どこの国民であろうと、どんな貧しい家庭であろうと、
主にあっては、一切関係ないことなのだと教えられる。
主は、わたしたちひとりひとりに命じておられ、用いて、御業をなされる方である。
いつも必要を備えてくださる主を信じて、命じられたことを受け取っていきたい。
この時のエリヤのことを、イエスさまは、人々に言われたことがある。
故郷ナザレに帰ってきて、故郷の人々に受け入れられなかった時のことだ。
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「・・はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。」(ルカ4:24~26)
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イエスさまは、故郷ナザレに帰ってきて宣教したとき、
ナザレの村の人々に受け入れられなかった。
地元や家族間で受けたアウェー感。つらい。
でも、つらい試練の中にあったとしても、
あのカラスが、または、パンをくれたやもめが助けてくれたように、
主が必要を備えて下さっていると信じる。
神さまは、わたしたちの、最善の道に導かれる方で、
わたしたちの願いを、知っておられる方だということを、覚えていたい。
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『アルプスの少女ハイジ』という本があります。私はTVアニメでよく観ていました。
ハイジは、アルムの山でおじいさんと暮らしていました。
しかし、ハイジは、途中で、おじいさんの所を一旦離れて、フランクフルトという大きな町に行かされます。ハイジは行きたくありませんでした。フランクフルトでの人間関係はストレスでした。
そんな中、ハイジは、クララのおばあさんと出会います。
おばあさんは字の読めないハイジに、「緑の牧場に動物たちと羊飼いの絵」の載った、1冊の絵本を渡しました。
ハイジは、おばあさんに励まされて、1週間で字を覚えました。そして、ハイジはおばあさんに、神さまへのお祈りの仕方も教えてもらいました。
後にハイジは、再びアルムの山に戻ることになりますが、
フランクフルトでの試練は、ハイジが成長するために必要なことでした。
試練と思われることの中にも、希望の光が射している。これは、わたしたちも、体験しているはず。
試練の時さえも、じっくりと味わって生きていきたい。
一番よいときに、神さまは、必要を満たしてくださる方。
それを信じて、これからも歩んでいきましょう。