希望の拠り所
哀歌の著者である預言者エレミヤは、強国バビロンによって都エルサレムが滅ぼされるという、ユダヤの民にとって絶望的な状況の中にあっても、希望の拠り所である「神」をしっかりと見ていた。
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主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い
わたしは主を待ち望む。・・・主の救いを黙して待てば、幸いを得る。(哀歌3:22~27)
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何も信じられない苦しみを味わうことがあるだろう。
しかし、エレミヤのように、
主を「希望の拠り所」にするならば、
主の救いを黙って待つならば、
私たちは神からの祝福を受ける。
神さまは、最初からわたしたちに、
最善の道を用意してくださっている。
エレミヤの状況は苦しいが、彼は主を待ち望んでいる。
そして、わたしたちは、主にあって、
朝ごとに、新しく更新されていることを受け取っていきたい。
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昨年、観ていたドラマの中で、女性の主人公が、
職場の後輩である青年に言ったセリフを思い出した。
「・・希望って、誰かを信じられることなんだね。ありがとう。・・」
これまで、希望を持たずに生きていた主人公は、心が変えられる。
そして彼女は、このように思った。
「・・これまでに出会った誰もが、ずっと私に教えてくれていたじゃないか。
信じ合えないことの苦しみと、
信じ合えることの喜びを。
希望が無いなんて、もう、二度と、言わない。」
主にあって、朝ごとに新しくされるわたしたちです。
今年も、主イエスさまを拠り所として、歩んでいきましょう。