主に望みをかける
花は、今日を精一杯生きて、すてきに咲いていた。
詩篇39編2~8節から。
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わたしは言いました。
「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。
神に逆らう者が目の前にいる。
わたしの口にくつわをはめておこう。」
わたしは口を閉ざして沈黙し
あまりに黙していたので苦しみがつのり
心は内に熱し、呻いて火と燃えた。
わたしは舌を動かして話し始めた。
「教えてください、主よ、わたしの行く末を
わたしの生涯はどれ程のものか
いかにわたしがはかないものか、悟るように。」
ご覧ください、与えられたこの生涯は
僅か、手の幅ほどのもの。
御前には、この人生も無に等しいのです。
ああ、人は確かに立っているようでも
すべて空しいもの。
ああ、人はただ影のように移ろうもの。
ああ、人は空しくあくせくし
誰の手に渡るとも知らずに積み上げる。
主よ、それなら
何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。
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誰かの、「今日も生きよう」とする心を感じ取ったときや、
誰かの、長い忍耐の中に、誠実さを見たときに、
ああ、人間ってすごいな、と驚くことがある。
また、反対に、
人間って、はかないな、と思うことがある。
そういうときは、
ちょっと、自然の中に行って、
景色を眺めたりする。
詩篇39編の著者の、言葉にならない苦しみは
心の中で熱を持ち、火と燃えた。
そのような中で「主を待ち望みます」と
記している。
わたしたちも、そのように、
どんな苦しみがあっても、
主を待ち望みたい。
12年間、病のために、苦しんでいたた女性は、
群衆をかきわけて、イエスさまの衣にふれた。
イエスさまへの信仰によって、
彼女は癒された。
極限に立ったと思った時にも、
わたしたちはなお、神の手の中にある。
信じて、主に望みをかけて、
今という時を生きよう。