反対しない者は味方
イエスさまの名前を使って、悪霊を追い出している人を、イエスの弟子たちが、排除しようとしたことがあった。弟子たちの心にあった、暗黙の特権意識がそうさせた。
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イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」。(マルコ9:39~41)
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イエスさまに反対しない人々は、わたしたちの味方なのだよ。
弟子たち、あなたたちのことを、どんなに多くの人が支えてくれているだろう。
神さまは、その人達にも、祝福を与えられる方なのだよ・・
線引きをしてしまう時は、
自分に、頑なな気持ちがある時だったりする。
しかし、この御言葉を聴くと、
神さまは、そんな自分を、
いつも寛容なまなざしで見つめておられる、と思う。
自分のことで精一杯では、
周りの優しさにも気づけない。
精一杯にせざるを得ない何かって、何なのかな。
心の声に聴いてみよう。
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塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。(マルコ9:50)
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例えば、アユの塩焼きを見ると、表面に付着している白い結晶が塩が確認できる。
この塩がふってあるから、アユが美味しくなる。また、塩は肉の腐敗も防ぐ。
塩は、人の体には、なくてはならないものだ。この前、無人島で魚を捕って食べる青年の動画サイトを見ていた。調味料は持ってきて無かったので、青年は、海水を火にかけて煮詰め、塩を作っていた。
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人は皆、火で塩味を付けられる。(マルコ9:49)
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火とは、試練のことだが、
この火によって、塩味のきいた人間に変えられていく。
塩が良いものなら、火もまたそうなのだろう。
試練もまた、神さまから与えられているものだろう。
今、流れている涙も、
少しずつ、火にかけられて、
きれいな塩の結晶になっているのかな。
わたしも、記憶のない小さな頃から、
だれかの塩の結晶に、助けられてきたのだ。
自分の持つ塩気も、
そうなる時が来るかと思う。
自分では分からないかもしれない。
でも、いいのだ。
お互いに、平和に過ごしていこう。