死と復活を予告するイエス

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イエスが(弟子たちに)お尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」(マルコ8:29)
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それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、…排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。(8:31、32)
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何故、ペトロは、イエスさまを、いさめたのか?

イエスさまが言われたことは、ペトロの思うメシアのイメージと、全然違っていたのだ。

わたしたちもペトロのような気持ちになることは、たくさんある。

信じたくないことが起こった時、

現実を受け止めきれない時、

神さまの導く方向に抗ってしまう自分になっていたことを思い出す。

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イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコ8:33)
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イエスさまは、いつだって、忍耐強く、

メシアの意味が分かっていない弟子たちを、導き続けておられた。

イエスさまと共にいたら、いつも和むとは限らない。

しかし、私たちは、

行く方向も分からず、

やみくもに動き回る小さい羊だったことも、思い出すけれど、

その時に気づかされた、神さまの愛のことも、覚えている。

イエスの叱責、があったからこそ、

羊は、足を止め、

導きのある方に、動き出せた。

そのような決断を、何回もしてこられたのだと思う。

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それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」。(マルコ8:34)
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ペトロは、本当のメシアの意味を、

後になって悟るようになる。

イエスさまは、私のために、

(神である)ご自分を捨てて、

十字架を背負い、

死に向かう道を歩まれた。

生きていると、

辛く苦しい中にも、

背負うことを求められていることがあるかと思う。

わたしたちは、苦しい道の途中で、

イエスさまの愛と憐みに気づかされる。

神さまの愛によって、支えられて、生きていることを知る。

その愛に応えながら、

生きていきたい、と思う。