まだ悟らないのか


イエスさまは、舟の中で、弟子たちにおっしゃった。

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「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(マルコ8:15)
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当時のユダヤ人の中には、5つの党派(サドカイ派・エッセネ派・ゼロテ派・ファリサイ派・ヘロデ派)があった。イエスさまはその中でも、ファリサイ派のような、人の状況や現実を無視して律法に固執する応用のきかない考え方や態度と、ヘロデ派のような、周りの人の顔色を窺いながら生活する日和見主義な態度に、よく気をつけよ、と言われたのだった。少しのパン種(イースト菌)であっても、入り込んだら、パンは全体に膨れ上がってしまうから・・。

しかし、弟子たちは、この時、しくじってしまったことで、頭がいっぱいだった。
お弁当のパンを、1個しかもって来なかったのだ。
ここは舟の中。イエスさまと弟子12人。
(絶対足りない・・!)
弟子たちは舟の中で議論しはじめた・・。

イエスさまは、そんな弟子たちに気づいて言われた。
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「まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。・・・まだ悟らないのか。」(マルコ8:17~21)
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イエスの弟子たちは、ファリサイ派の人々と同じく、
イエスがなさった2回のパンの奇跡では、「イエスさまはメシアだ」と悟れなかった。
だからイエスさまは、「まだ悟らないのか」と言われた。

わたしたちも、
天からのしるしのような、
大きな奇跡を求めることに、心が向いてしまっていないだろうか。
人生に、完全なものを求めすぎているのかもしれない。

神さまが奇跡をなされる目的は何だろう。
モーセの時代、40年間もさまよったイスラエルの民は、その日その日に神から与えられたパン(マナ)で、生活することができた。

わたしたちは、長い困難の中を歩くことに、
「神さま、いつまで・・?」と、
心が疲れ果ててくるかもしれない。
奇跡を見たい気持ちが強まることがあるかもしれない。

困難の中にあっても、神に信頼をおいて生きていくことを選ぶ。
そのような、訓練の道にいることに、
あなたがたは、気づきなさいよ・・。
パンがないないって、心騒がせてはいけませんよ・・。

救い主イエスさまは、
「悟りなさい」の中にある思いを、
パン1個の舟の上で、
弟子たちや、わたしたちに伝えられている。

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最近、悟った?こと。
自分の心の、どこの部分に無理があったのか、少しだけ理解できた。
きっかけは、病気で寝込んだことだった。

まるで、大きな琵琶湖の水上の、小さな丸子舟の中で、
熱にうなされているような状態。何もできなかった。

でも、自由が利かない状況だからこそ、気づけたことだった。

どんな出来事でも、
わたしが、神さまを信頼して生きるために、
神さまは、無駄なことはひとつもされないのだと思った。

どんなことにも感謝して、
イエスさまに信頼して、
今週も、歩んでいきましょう。