祝福の基として

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主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1~3)
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「あなたは祝福となりなさい。」は、

他の人々を祝福する者となる、ということ。

口語訳では、「あなたは祝福の基(もとい)となるであろう。(創世記12:2)」と訳されている。

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ある日の礼拝の帰り、ひとりのご婦人が、このように言われた。

「生きていたら、いろいろあるわよね。でも私たち、いろいろあるからこそ、神さまに祈るんですものね!」

と、にこやかに帰っていかれた。

いろいろな問題が降りかかってきても、

「地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」とあるように、

それは、神さまに祈る機会が与えられている、ということだ。

一見、試練が多いように感じる時があっても、

わたしたちは、アブラハムの子孫として、

「祝福の基となっている」ことを思い出したい。

誰かのために祈ることができる。

それは、神さまから与えられた、すばらしい使命だ。

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子どもの頃の夏休み。

床に仰向けに寝そべって、

窓の向こうに見える空をずっと見ていた。

雲の動きだけに注目すると、

まるで地面が動いているかのような錯覚を起こすので、

ずっと、地面を動かして遊んでいた。

あれから40年(←綾小路きみまろのネタでこんなのあったなぁ)。

あの頃と同じように、

床に寝っ転がって、

空を眺めて、地面を動かしてみた。

やっぱり、変わらず、楽しい。

子どもの頃と違うのは、

今は、神さまの存在を知っているということだ。

そして、

神さまを知らなかった子どものわたしにも、

たくさんの祝福をくださっていた。

あれから40年(笑)。

時間がかかったかもしれない。

神に愛されていることを知ることができた。

目が見えるようになりたいと、イエスさまに求めた盲人がいた。

イエスさまは、

「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ18:42)

と言われた。

問題の中にあっても、

神さまが共におられるから。

だから、信頼して生きていこうと思う。