アテネの哲学者たちへ

テサロニケのユダヤ人が、パウロ達の居るべレアの町まで追いかけてきたという知らせを受けて、パウロは先に一人でアテネに行った。

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パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論した…。(使徒17:16~18)
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パウロがアテネの町で見たのは、汎神的な世界だった。

先週、BS放送で、映画「アレキサンダー大王」を観た。
BC4世紀、父の後継でマケドニアの王となったギリシャ人のアレキサンダーは、ペルシャ、エジプト、インドと、東方遠征を進めて領土を拡大していく。映像では、ギリシャとペルシャ両国の文化の違いが、建物や衣服に現れていた。

キリスト教の歴史を語る時に重要となるのは、
BC400年頃から、イエスの時代まで「中間時代」と言われている。

「中間時代」は、世界史的には、ギリシャ・ペルシャ時代から、ローマの時代へと大きく変遷する激動の時代。文化的には、ギリシャ文化とペルシャ(オリエント)文化の融合が進む、ヘレニズム時代。個人の幸せを追求していくための新たな哲学も生まれた。エピクロス派やストア派がそれである。

時を戻そう。

パウロはアテネのギリシャ人に向かって言った。
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アテネの皆さん…あなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。(使徒17:22~24)
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パウロは、ギリシャ人の知らない旧約聖書を用いて語らなかった。
自然科学や哲学が発達しても、神の裁きと罰を恐れていたギリシャの人々にも分かるように、唯一の神さまのことを伝えたのである。

パウロが、イエス復活のことを話し出すと、アテネの人はこのように言った。
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「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」(使徒17:32)
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パウロは、その場を立ち去った。
アテネの壁は厚かった。

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ちょっと小話。

わたしの父は、超グレイな考えの持ち主だ。物事にハッキリ白黒をつけない。子どもの頃、色んな話題が食卓に上がっても、父の、本当のお考えが何なのか、まったくわからなかった。子どもたち(私たちきょうだい)の質問すべてを、ちょっぴり自虐の混じりのユーモアで、返答をしていた。

こうして、パウロのアテネ人へのメッセージを思いめぐらしていると、なんとなく、父のお考えが、少し理解できた気がする。
父は、いかなるときも、平和を選んでいたのかもしれない。「最悪の平和も最善の戦争にまさる。」という内村鑑三の言葉が、思い浮かぶ。

わたしは、パウロの「すごいな」というところは、
先ず「あなたがたが信仰のあつい方である」と、相手をそのまま受け入れているところだと思った。日本であっても、八百万(やおよろず)の神々がいるという世界の中で生きておられる人々は、少なくない。形は違えど、アテネのパウロと同じような状況になることはあるかと思う。

「こちらが正しい!!」だと、やっぱり・・相手は、構えてしまう。

だからこそ、相手の話を、先ず「聴くこと」、大切にしたい。

【今週のみ言葉】
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えて下さる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らって下さる。」(詩篇55:23)