御心のままに
今週は受難週です。イエスさまは、私たち一人ひとりを、神さまのものとして、買い戻してくださるために、ご自分の命を代価として、捧げてくださった。この大きな愛を覚えて、過ごしたい。
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人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
(マルコ10:4 新改訳)
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イエスの時代、ユダヤの国はローマの属国であり、民衆は、ユダヤの国の独立を願い、救世主が来ることを望んでいた。イエスはその候補者の一人であったが、弟子、民衆、敵意を持つ人々、すべての人に、彼は誤解されていたのであった。彼は、人間が想像するような、地上の救世主ではなかったのだ。
最後の晩餐を終えた後、いつものように、祈りを捧げるために、オリーブ山へ行かれた。
そして、イエスさまは、祈られた。
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「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカ22:42)
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・・この時の、イエスさまの気持ち、どんなにつらいことだったのか、あまりにも(辛さが)大きすぎて、想像できない。
イエスさまの「御心のままに」とはとても比べられないけれど、わたしたちも、「御心のままに」と祈るとき、今おかれている状況に向き合うことへの、決心、覚悟が必要だ。
しかし、祈りのそばに居た弟子たちは、悲しみの果てに眠ってしまった。
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イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」(ルカ22:46)
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とても辛がっている人に、寄り添うことは、難しい。
簡単に、分かる、とは言えない。
彼が、彼女が、
何で辛いのかが、分からないけれど、
イエスさまの
「起きて祈っていなさい」の言葉を聴く時、
「この問題について、眠らないこと、祈ること」を選んでいく時に、
どうすればよいのかが、
道が見える気がする。
かつて、自分も、似たような、
辛いことが、あったよなあ、と、
思いめぐらす。
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今日も、聖霊なる神が、弱い私たち一人ひとりのために、信仰が無くならないように、うめきを持ってとりなしてくださっている(ローマ8:26)。
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信仰がなくならないように、いつも、とりなしてくださっている方がいる。
望みをもっていこう。