キリストが形づくられるまで

先週、手の指に「とげ」が刺さった。ピリピリと痛い。目が悪くなっているのか、「とげ」は目視できず、指だけが痛い状態がしばらく続いた。もどかしい時間を過ごした。

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パウロは、彼が開拓したガラテヤ教会のクリスチャンたちに、「キリストがあなたがたの内に形づくられる」ことを願っていた。この時、ガラテヤ教会に、ユダヤ主義者が入り込み、ユダヤ教の律法を守る、という、誤った教えを説いていたのだ。

パウロは、人から嫌がられる病を持っていたけれど、ガラテヤのクリスチャンたちは、そんなパウロを、嫌がらずに受け入れていた。聖霊の働きにより、キリストの愛がガラテヤのクリスチャンたちに形づくられていた。そのガラテヤ教会が、ユダヤ主義者に傾倒しかかっている。パウロは、ガラテヤの教会の人々に向かって、もう一度、キリストの愛を思い出してほしいと、手紙を書いたのであった。

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わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(ガラテヤ4:19)
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弱い者を排除しないで受け入れる、考えが違う人を、受け入れる。

みんな、それぞれに、大切な存在だ。

また、

自分の内側にも、排除したいものは出てくる。

「私の内側に、この悩みがなかったら、どんだけ楽になるだろう」などと、思うことがある。

その時、

わたしの指に刺さっている見えない「とげ」と、

パウロの「病」という「とげ」が重なった。

見えない「とげ」のおかげで、皮膚の周りが痛い。

排除したい、という気持ちに駆られたが、

わたしは、

いままで、この「とげ」の刺さっている部分について、

少しでも気にかけたことがあっただろうか。

順風満帆な時は、気にもかけない、

しかし、そこに傷を負えば、

小さな指のひとつひとつに、大きな役割があったのだということに気づく。

与えられた困難によって、

人生を、深く味わう、ということが教えられる。

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降りかかる困難に対して、文句ばっかり言うのではなく、

どう向き合うのかを考えることは大事だ。

自分や相手を、赦すことを学ぶことは、

私たちの内にキリストが形づくられていく過程なのだなぁ、と思った。

イエスさまは、わたしたちの悩みを、すべてご存知。

何で、憤っているのかも、悲しんでいるのかも、

何で、喜びを見出していくのかも、すべて。

そのイエスさまの憐れみによって、わたしたちはゆるされている。

いよいよ、キリストが、私たちの内に形づくられていきますように。

神さまの愛を流す人として、

人と関わっていけますように。