託されたことに忠実
教会に飾られたお花。新しい年を喜んでいるように見えました。
ルカの19章11節~26節。イエスさまは、ザアカイのことを聞き入っていた民衆に向かって、「ムナのたとえ」を話された。人々は、神の国がすぐに現れるものだと思っていたところに、イエスさまは、たとえ話をされた。
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イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けるために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。」(ルカ19:12,13)
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十人の僕たちは、十ムナを、どのように活用するのかを、主人に託された。1ムナは、数千円のことである。
1人は布にくるんで1ムナをとっておいた。
もう1人は1ムナを10ムナに増やしたことを喜んで、王となって帰ってきた主人に報告した。
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『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と報告した。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』(ルカ19:16,17)
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もうけた僕は十の町の支配権を与えられた。
一方、布に1ムナをとっておいた僕は、その1ムナを取り上げられた。1ムナを使って何もしなかった僕は・・主人を、厳しく、恐ろしい方と見ていたから、恐れから、何もしなかったのだ。
主人は、ご自分の心に応える、僕の忠実な心が見たかった。
主人に喜びを伝えた僕のように、小さなもの(1ムナ)にでも忠実に、自分の人生を生きてほしいと、、神さまは願っておられる方なのだ。
人のことが気になることもあるだろう。しかし、そこに目をやるのではなく、神さまが、この世で、わたしたち一人一人に、託しておられること・・そのことに向き合うことに意識を向けたい。途中で方向転換も可能なビジョンであってもいい。「これならば、わたしにもできるかなあ」と、思える、小さなことから、なにか始めていければいいなと思う。
教会の玄関から見た、比良山系。雪がうっすらと、きれい。