キリストの思いを持って

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たとえ律法を持たない異邦人も、…律法の要求する事柄がその心に記されている…。(ローマ2:14,15)
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クリスチャンであってもなくても、人には、良心というものが与えられている、とパウロは言った。
それぞれに、良心が備わっている、ということについて、わたしが意識するようになったのは、聖霊がわたしの内に宿っておられることを受け入れてからのことだと思います。今は、わたしは、良心というものを・・信じているか、信じていないか、そのような隔たりの向こう側にあるもののように、感じています。

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『誰が主の思いを知って、彼を教えることができようか』しかし、私たちはキリストの思いを持っている。(Ⅰコリント2:16)
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イエス・キリストの思い(心)について、分かち合いました。イエスさまは、どのような思いを持っておられる方なのか?3つ、学びました。「死を見据えて生きること」(どのように生きたいかを見出すきっかけとなる)、「愛による自己犠牲」(他者のために自分の犠牲を惜しまない姿勢)、もうひとつは、「共同体感覚を育むこと」でした。わたしは、これが、印象に残りました。

人は、人と人との関係の中で、培われていく・・。
自分でない他者に、注意を払うことが、できているのだろうか、と問われることがあります。

昔の話です。高校生の時、わたしは部活動に熱心でした。部員もたくさんいて、大会に向けてみんなで一丸となって頑張っていた・・はずでした。練習の終わったある日、顧問が、全部員を集めました。顧問の横にはマネージャーが2人、泣いていました。2人は、考えた末、部活動を辞めたい、と申し出た。「一所懸命やっているのだけれど疎外感を感じる」と言うのが主な理由でした。わたしは、なんで気づけなかったんだろう。自分のことしか見えてなかったんだな・・。

年を経てからも、このようなことが、たまに起こったし、逆に、私自身が、疎外感を感じる思いにもかられた。「共同体とは何ぞや?」そのような葛藤は、いつもどこかにあった。

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あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)
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これは、私の思いであるが、イエスさまだって、、ともに学び、理解し合い、一緒にいると豊かな気持ちになり、お互いの人生の目的に向かって、いっしょに歩める・・そんな友がほしかったと思うのである。しかしながら、ご自身はひとりでありながらも、わたしたちに、掟をくださった。

「共同体感覚は、互いに愛し合うことによって育まれていくのだ」ということを、み言葉によって導かれたことを、神さまに感謝しました。他者を赦すこと、また、自分自身を赦すこと。忍耐が伴うだろうけども、より良い関係を、長く続けていくために、イエスさまは、わたしたちに、み言葉を残してくださった。イエスさまの愛の実践、やっていきたいと思う。

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およそ四半世紀経って、高校の同窓会で元マネージャーのひとりとお出会いしました。わたしは、あの時、あなたがみんなに対して伝えたことについていまだに覚えていて、あの当時、気づけなかった、と、打ち明けた。彼女は驚いていたように見えた。そして最後に、お互いに、連絡先を聞くことが出来ました。またいつかお茶でもしましょう、と。そんな風にして、別れました。