主を知ることの素晴らしさ
メッセージの中で、「新しくクリスチャンになられる方々が、あなたの信仰生活の態度を見倣ったら、その人は、どのようなクリスチャンになるだろうか?」という質問に、考えさせられた。
昔、「たまごっち」というゲームが流行った。たまごから生まれたベビーにご飯をあげたり、あそんだりして、成人の「たまごっち」に育て上げる。成人のキャラクターは7種類ほどあるのに、わたしが育てると、いつも「にょろっち」か「おやじっち」の2種類だった。何が原因だったのかは・・分からない。
それはさておき、今の自分を見て、周囲の人が、クリスチャンになりたいと思うだろうか?と思った。
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…わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。(ピリピ3:8)
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わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。(ピリピ3:12)
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これらは、ユダヤ化主義者の圧力を受けていたピリピ教会の人々に向けて獄中のパウロが送ったメッセージである。
パウロは、すべてを失ったけれど、イエスさまを知ることはすばらしい!!と言いました。自分はイエスさまに捕らえられている、そして今も、私は捕らえようと努めている。もっと主を知りたいと思って努めるパウロに励まされた。
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「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。…あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」(詩篇139:1~4)
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神さまはわたしの願いも知っておられる。そして、神さまのご計画が存在する。人が想像もつかないようなもっと大きな視点で、私たちの願いに対してうごいて下さっている。時に、大勢の中で、ひとりぼっちに思うかもしれないけれど、主はわたしの心を、捕らえていてくださっている。知られていることは素晴らしい。そして、主を知りたいと思うことも。
捕らえられている身でありながら、日々イエスさまに倣っているだろうか。イエスさまのことをもっと知りたいな、という思いがわいてくる。
-『こんなクリスチャンはとてもすてきだ。どんなの?』
というお題を、頭の中でやってみた。いろいろ出てくる。
今週もまた、自分の生活の中で、「イエスさまならこんなときどうするだろう?」と、聞いていきたい。