短すぎることのない神の手

ーーー 手が短すぎて困ったことはありますか。

はいあります。

背中がかゆいのに、

かゆいところに手が届かないときです。

【今週のみ言葉】
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わたしの手は短すぎて贖うことができず、わたしには救い出す力がないというのか。
見よ、わたしが叱咤すれば海は干上がり、大河も荒れ野に変わる。(イザヤ50:2)
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旧約聖書の時代・・預言者イザヤのいた頃は、イスラエルの民が大国バビロンに連行されて捕囚となり故郷を追われた苦い時代であった。その中で、イザヤは「神の御手はあらゆるところに届いているのですよ」というメッセージを、主の民に届けたのでした。

今日歌った賛美、「善き力にわれ囲まれ(新生讃美歌73)」より抜粋。

♪過ぎた日々の悩み重く なおのしかかる時も

 騒ぎ立つ心しずめ み旨に従いゆく

・・・

♪たとい主から差し出される 杯は苦くても
 
 恐れず感謝をこめて 愛する手から受けよう
 
・・・

♪善き力に守られつつ 来たるべき時を待とう
 
 夜も朝もいつも神は 我らと共にいます

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わたしたちは、過去のネガティブな感情は残りやすい。だが一方で、困難の中にあっても、不思議と助けられていたことがあるかと思う。そこには、思い出すことの出来ないような、気づかなかったところでの見えない助けも含まれている。思い出すことの出来ない、目に見えない助けである。

私は神に愛されている、ということを自分が受け取ることが大事だ。急にそうしなくちゃと焦ることはないが、きっと、受け取ることの出来るタイミングだって神さまは知っておられると思う。神さまは、わたしたちの、それぞれの痒い所を知っておられて、実にベストの位置に手が届く方である。

まず、

「ここがかゆいんです」

と伝えていってはどうだろうか。