主が選ばれた宣教地


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イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。(マタイ4:12,13)
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イエスさまは、ユダヤ地方からずっと離れた、ガリラヤ地方を、宣教の拠点として選ばれ、宣教をスタートされたのでした。

何かが起こった時に、考え方を変えたり、方向転換したり。
小さなことでも大きなことでも、私たちの日々は、そのような選択の連続である。

自分の意志で決めずに、何かに道を導かれたことはいくつかある。
特に、人生の岐路に立たされているときのことは、よく覚えている。

私は、高校生活は部活動を一所懸命していました。高3の夏が最後の大会でしたが、その試合中に、相手の顔面に私の左こぶしが深く入ってしまって、反則負けをしてしまいました。この瞬間に「大学では続けないでおこう」と心に思いました。なぜなら、私は、この半年前に開かれた大会でも、まったく同じ「反則負け」をしたことを、最後の反則負けの瞬間に思い出したからです。
「もうやめとけ」という声がどこからともなく聞こえました。この声に、納得したので、すんなりと足を洗うことができたのです。

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また、どのようにして、キリストに出会ったかという事も、
それぞれの人生の中で、何かしらのきっかけがあったということになるかと思う。
物心ついたころから知っていて、イエスさまを信じる人もいれば、
天に召される前に、イエスさまと出会い、信じる人もいる。

「天の国ってどんなところ?」イエスは、天の国をぶどう園にたとえられた。神はぶどう園の雇い主である。雇い主は、労働者を探すために市場へ時間ごとに出かけた。夜明け前から雇われた人と、9時、12時、3時、そして夕方5時ごろに雇われた人は、同じ賃金であった。(雇い主は1人1デナリオンを支払うと約束していた)夜明け前の人々がこれを知り、雇い主に文句を言ったとき、雇い主は言った。
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「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか・・・わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。・・・」(マタイ20:14)
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神は寛大な方だと思う。

私たちは、神のぶどう園で雇われた人々なのである。

わたしは、何時頃雇われたんだろうか?

そう思うのだって、神にとってはナンセンスな事なのだ。

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イエスは、なぜ、異邦人が多く住む、ガリラヤ地方を、宣教の中心としたのかは、預言者イザヤが言ったことの成就があった(イザヤ9章)。
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「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4:15,16)。
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イエスさまは、暗闇の中を歩いている人たちが光の中を、歩めるようになることを願っておられた。

宣教に行くならば、どこに行きたいだろうか。

・・まだ、イエスの福音を知らない人のもとに、呼ばれたいと思う。

どういう風に伝えるのか?

いろいろと思いめぐらしますが、

私自身が、「こんなすごい本はないよね!」

という気持ちを持ってることが大事、と、思ってる。

そして、知らない人たちの心の思いを聴きたいな。そんな時を持ちたい。

「あ、ここかな」と思ったところで、伝えることができたらいい。

そこが、だれも踏んだことがない道だったとしても、

「いいかも!」と思って、やってみよう。