目印に込められた意味

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さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。
イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。(マルコ5:25-29)
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十二年間も出血の止まらない女は、とうとうイエスの衣に触れた。
彼女の病は癒された。

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「イエスはこう言われた。『娘よ。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気で過ごしなさい。』」(マルコ5:34)
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救い主は、女の病と苦しみを服から感じ取ったのだろうか。
やさしい言葉だと思う。

わたしやあなたの中で、御言葉を思い起こす目印(きっかけ)となっているものは何だろうか?

家族や友人のことばかもしれないし、

歌っている時かもしれないし、

テレビを見ている時かもしれないし、

太鼓の「ドン」という音だけで

思い起こすことができるのかもしれない。

み言葉を思い出す出来事は、

絶えず、数えきれないほど起こっていると思う。

また、長血の女のように、

長い間、解決することがなく、悩み苦しんできた心には、

目印は、その人の心の中で、

忘れられないほどに大切なものとなっているにちがいない。

わたしも、

目を輝かせて歩むことを教えてくれた、

そんな目印を抱きしめて、

信仰の道を、歩んでいきたいのだ。