逆風も原動力
11月の初め、
ヒヤシンスの水耕栽培を始めた。
球根の下部分を、水の入ったグラスに浸けておく。それだけ。
しばらくすると、根が伸びてくる。
根が伸びてくると、今度は球根の頭頂部から、
緑色のかわいい芽が顔をだす。
年明けに、開花する予定だ。
ヒヤシンスの球根を買った時は、カラカラに乾燥している。
球根が店に出るのは10月ごろだから、
植える時期が来るまで、
冷蔵庫で1~2か月保管する。
カラッカラに渇いたピン球ほどの大きさの球根から
芽吹く様子は、何度見ても驚く。
時が来て、水が与えられ、
根が伸び、発芽するヒヤシンスの姿は、
イエスさまに救われて、
新しい命を得た人の姿を連想させる。
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「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。(ルカ15:24)」
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放蕩息子が帰ってきたとき、父は、喜んだ。
死んだと思っていた息子が帰って来たのだから、喜ばないはずがない。
イエスさまは、放蕩息子のことをたとえとして話されたが、
放蕩息子のことを愛しておられる方だ。
そして、サマリヤの女にも、長血を患った女にも、
38年池のそばで寝ていた病の人にも・・イエスさまは、み言葉をかけられた。
主は、あらゆる罪を自分の中に感じている人のたましいを、救われる方だ。
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苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと
主は彼らを苦しみから救ってくださった。(詩篇107:6)
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元気がなく、ずっと落ち込んで、
自分の悩みが、頭の中で、循環していた人が、
何気ない日常の話ができるまでに回復する。
この事実を、間のあたりにしたとき、
心の底から、喜びがこみあげてくる。
私たちの人生には、試練が多くあるだろう。
しかし、主がしてくださった恵みを、
回復した人の中に発見した時、
わたしたちは、主に感謝せずにはいられない。
今まで起こった苦難や試練も含めて、
主に感謝して生きる人生を歩んでいきたい、と、
願わずにはいられない。
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試練の渦中にいるときは、心穏やかではない時でもあるだろう。
予期せぬ事態は、いつ何時起こるかわからない。
わたしたちの人生には、喜びの時も試練の時もある。
イエスは、群衆から離れて、弟子たちと舟で湖まで出たが激しい嵐に遭遇する。
弟子たちはパニックになる。
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弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。(マタイ8:25,26)
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イエスさまを信頼して、動じない心をもっていたいと思う。
そして、逆風は原動力になる。
この試練があったからこそ、今の自分があると思うと、
逆風は、ただの逆風では終わっていないことが、
あとになって分かる。
イエスさまは、起き上がって、風と湖をお叱りになった。
嵐は静まり、凪となった。
イエスさま御手に抱かれつつも、
嵐に立ち向かう勇敢さも、持っていたい。