赦しは人生を変える
家でドラマを見ていたら、子どもが言った。
「ママ、パソコンのデータを人に頼むとき、『DVDに焼いといて』って、言うの・・?」
え?耳を疑った。
まさか、
『DVDに焼く(PCからDVDにデータを書き込むこと)』が、もう通じないとは!
時代は流れ、使っている言葉も、
少しずつ変わっていくことを実感しました。
そして、時代の変化に、追いつけない自分に気づました。
ちょっとショックでした。
でも、そんな中でも、
神さまのことばは、永遠に変わらない。
バイブルトークでは、お互いが、聖書のストーリーを聴き、読み、質問しながら、
自分の真理を発見することのできる時間を
分かち合うことができます。
いつまでも変わらない、人間の本質を発見するとともに、
神さまがどういう方であるのかを、思いめぐらし、明日へとつなげていく。
ストーリーを分かち合い、思いめぐらす時、
思いもよらない自分を発見する時がある。
それは世代など関係なく、神さまの愛を感じ取れる、
恵まれた時間のように、思います。
聖書のお話の中で、
「あなたなら、こんな時、どうする?」を考えてみる。
「え~、国も時代も歴史も何もかもちがうからわかんな~い」
そんなことは言わずに、ちょっと考えてみる。
相手の立場になって考えてみる。
令和から2000年前のユダヤ社会に、
タイムマシーンで、
タイムスリップしてみた気持ちで。
タイムスリップした先で、
出会ったひとを、わたしたち自身のこととして、考えてみる。
いろんな登場人物が出てくる。
その中に、神の子である、イエスさまがおられる。
ん?イエスさまは、なにやら、
地面に何かを書いておられるようだ・・
ヨハネ8章1~11節。
イエスのみ言葉によって、宗教指導者たちは、石を置いて、姦淫の罪で捕らえられた女性から離れていった。
女性は、石打の刑の処罰を免れた。イエスさまと2人だけになった。イエスさまは、女性に、このように言われた。
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「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない。」(ヨハネ3:11)
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イエスさまは、決意をもって、女性に「あなたを罪に定めない」と言われた。
その裁きを、受けてくださる方のもとに、
自分のいのちがあるのならば、
もう、罪にふけることは、女性は、選ばなかったことでしょう。
イエス様の愛と赦しを、この時、女性は経験した。
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罪を犯した人に対して、石を投げることはたやすいが、
自分は、そのような罪に対して、本当に無関係なのかどうなのか、問うてみる必要がある。
『石を投げるな』という本(及川弘・著)を紹介します。
これは、ひとりの男性会社員が、お仕事をされながら、複数の言語学習をされていた。その時に集められたことわざ集と手記帳を書籍化したものです。そこに、
「ガラスの家に住む者は石を投げてはいけない」という意味のことわざが、たくさんありました。
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(ドイツ)Wer im Glashaus sitzt , soll nicht mit Steinen werfen.
(英語) Whose house is of glass must not throw stones at another.
(イタリア)Chi ha tegoli di vetro,non tiri sassi al vicino.
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紹介しきれないくらいの、「石を投げるな」という、ことわざでした。
「弱さを抱えてる人は、石を投げてはいけない」という意味だといいます。
「放たれた言葉と石は呼び戻せない」、「天に向かって吐く唾は自分の顔に降りかかる」、「空に向かって投げた石は再び自分の頭に落ちてくる」ということわざも、同じような意味あいのものとして、これも、たくさん記録されていました。
わたしたちも、足をすべらせることがあるし、
正義感にかられて、石を投げる方にもなりうる。
女性は、石に当たることを覚悟していたが、
イエスさまによって救われた。
自分は、このバイブルトークの中で、
自分自身が石を持っていた者ともいえるし、
自分自身が、多くの石から守られた、
ひとりの女性であったとも、いえる。
すぐに石にけつまづく存在であることを、わすれずに、
そこに、御自身の決意をもって、
救ってくださったイエスさまがおられたこともわすれずに、
イエスさまは、そのようなわたしを、
今も支えてくださっている。
もういちど、歩んでいこうと思います。