諦めない妬む神 その1


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「あなたの神、主である私は、ねたむ神であるから、私を憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、私を愛し、私の戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」(出エジプト記20:5,6)
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私たちの、神さまは、妬む。

私たちを愛しているから。

私たちのしあわせ、良いものは、神さまのところにあるから。

妬むほどまでに、

私たちは、神さまに愛されている。

神さまの方を、見ずにいるとき、

「そっちに行かんといてッ!!」

というメッセージが、色んなことを介して現れるとき、

目が覚める。

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モーセは若い頃、殺人罪でジプトを逃亡した。その後ミディアンの地で結婚し、家族ができた。長い年月が経っていた。モーセは生活をするために、羊を飼っていた。

あるとき神の山ホレブで、モーセは神さまに出会った。燃えている柴を見たのだ。柴は燃え尽きずに、ずっと燃え続けていた。

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モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
主は、モーセが道をそれて見に来るのをご覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。・・(出エジプト3:3,4)
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「道をそれて」と、繰り返される。

モーセは、「道をそれて」神さまと出会った。

日々の暮らしの中で、いつしか、

神さまへの情熱が薄れてしまった、という感覚は、

だれしも、経験することかもしれない。

毎日いろいろな用事があって、あちらこちらを行き来する。

日々生活をするということには、

それぞれの人に、

大変な苦労がともなう。

生活の中で、神を忘れてしまうことが、

あったりしてしまうのだ。

しかし、神さまは、諦めない神である。

(明日へ続きます)