苦しみがもたらすもの
生きていると、苦しみを受けることは、あるかと思う。
正しく生きてきたのに、という意識が強ければ尚更、苦しみにあうことに、理不尽さを感じてしまうのかもしれない。
預言者エレミヤは言った。「なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか。(エレミヤ12:1)」
そしてまた、ヨブという人も、神に向かって嘆いた人だった。
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ウツの地にヨブという人がいた。彼は東の国一番の富豪であった。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。(ヨブ1:1)
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一方、その頃。天の神さまは、非の打ち所がないヨブのことを、地上を巡回していたサタンに向かって自慢していた。会話は大体こんな感じ。
神:「あれ?もしかして、サタン、気づいた?地上のヨブの事。あんな(神の前に正しい)男、この地上にはおらんかったやろ~。」
サタン:「いやいや、どうかな。ヨブの信心って、ご利益目当てなんじゃないのか?」
神:「ああ、ほな、そこまで言うんやったら、ヨブを試してみたらええやん」
と、ヨブの信心を試すことをゆるす。こうして、ヨブに次から次へと災いが降りかかってきた。災難だらけのヨブを訪ねてきた友人たちも「お前に罪があるからでは?」と語る。友人の訪問は、なんの慰めにならなかった。
ヨブは、とても長い間、神に向かって嘆き、怒り続けました。
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「もし、…わたしの手に汚れがついたことがあるならば、わたしが播いたものを、他人が食べ、わたしの畑の収穫が根こぎになってもかまわない。」(ヨブ31:7,8)・・・
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そんなヨブの前に、とうとう、神さまが現れました。
”正しい人がなぜ苦しむのか、悪人がなぜいつまでも繁栄しているのか”、については、主からの言葉は一切なく、主は、創造の御業の偉大さと、その美しさを、ヨブに語るだけでした。
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・・主は仰せになった。「全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責め立てる者よ、答えるがよい。」
ヨブは主に答えて言った。「わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。」(ヨブ40:1~4)
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ヨブは、やっと、神さまに、不平を言うのを止めました。やっと、主の前にへりくだり、神と和解し、心の平和を得たのでした。
ヨブは、苦難を通して、改めて、愛と正義である神を、見出したのでした。
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苦しいことを苦しいと、認識して、
神に向かって嘆くこと、神に向かって、涙を流すこと・・
ヨブの心の旅は、そこから始まった気がします。
また、困難の中にあっても、神に信頼し、自分の状況を受け入れる時、
苦しみは、苦しみだけでは終わらないことを、
神さまは私たちに、
私たちの一生をかけて、
教えてくださっているのではないだろうか。
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御名を畏れ敬うことができるように
一筋の心をわたしにお与えください。(詩篇86:11)