聖なる霊を取り去らないで
権力を持ってしまったダビデは、罪に罪を重ねてしまった。(2サムエル記11章)預言者ナタンがダビデの元に来て、彼の罪を叱責した。ダビデは、「わたしは主に罪を犯した」と、ナタンに伝えた・・。(2サムエル12章)
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「神よ、私のために清い心を造り、私の内に新しく確かな霊を授けてください。あなたの前から私を退けず、聖なる例を私から取り去らないでください。救いの喜びを私に返し、導きの霊で私を支えてください。」(詩篇51:12~14)
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ダビデの祈り。
自分の中にある罪深さに向き合い、
神との関係を回復を求め、
赦されることを願った祈り。
詩篇51編は、
どのように、彼が、自分の罪を悔い改めて、
神さまとの関係を回復させることができたのかが、書かれている。
この話を聴いて、
昔のことを思い出した。
14歳か、15歳だった。
期末テストの保健体育の試験問題。
【問】あなたは、今、どうしても、ある物が「欲しい!」という欲求を持っています。それを欲しくて仕方がありません。この欲求を解決する方法を、答えなさい。
授業を聞いていれば分かる問題だったが、
私は、聞いていなかった。
わたしは、「日頃の行いを良くする」と、回答した。
この回答見ても分かるけれど、
「いい子にしていたら、願いはいつか聞き入れられる」
みたいなことを、私は、思って生きていたところがあった。
答えは・・バツ!不正解!
わたしには、「正解」が、分からなかった。
「いい子にしていたら、願いがかなう、欲しいものが手に入るとか、違うのかな」
なんて、不思議に思っていた。
あまりにも幼い考えだったと、今なら思えるのだが。
テストの模範解答を見ると、
そこには、
「あきらめる」
とあった。
さらに謎は深まる。
中学生の私は、
「え?!あきらめてしまうの?意味が分からない!!」
と、心で叫んだ。
すごく、自分の中で、モヤっとする感じが残った。
授業中、先生の話を聞きもらしていたこともあるけども、
「あ~!聞いていなくて、わからなかった!!」
みたいなことで、解決する問題ではなく、
もっと、わたしの、
心の根っこの問題が
そこに残っている気がした。
だから、こうして、思い出したのかもしれないな。
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権力を持ったダビデの過ちを聴いて、
「あきらめる」が、正解やったな・・。
と、今の私が、
心の中でつぶやいた。
あの、保健体育のテスト問題。
「悔い改めて、方向転換をする」
という答えでも、
先生は、マルをくれたかもしれない。
今となっては、遅すぎるんだけど。
30年越しで、
すっきりした気持ちになった。
神さまって、ユニークな方だ。
こうして、時間を超えて、
私の心の根っこを、
潤してくださる方。
神さまに、信頼して、
今週も生きていこう。