神は憐み深い

祭司ザカリアの願いは、神さまによって聞き入れられた。妻エリザベトとの間に子どもが生まれたのだ。ザカリアは、神さまの御使いが言った通り(ルカ1:13)その子を「ヨハネ」と名付けた。ヨハネは、イエスさまの半年前に生まれた。御使いがザカリアに告げた。「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、・・準備の出来た民を主のために用意する(ルカ1:17)。」ヨハネは、主イエスに先立って人々の心を整える使命に生きるようになる子どもとして、神から送られた子どもであった。

ザカリヤの預言、
****************************
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた・・・これは我らの神の憐みの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカ1:68~79)
****************************

「ヨハネ」とは、ヘブライ語で、「ヤーウェは憐れみ深い」という意味。ザカリヤの預言そのものである。

神の憐みに出会う時って、どんな時だろう。

ヨハネ5章。イエスさまは、ユダヤのお祭りの時、都エルサレムへ行かれました。その時、イエスさまは、「ベテスダの池」に行かれた。池の周りにはたくさんの病んでいる人たちがいました。「ベテスダ」とは、「あわれみの家」という意味である。イエスさまは行って、38年間そこに横たわっている人の病を癒された。イエスさまは、孤独な人のところに、すすんで行かれる方だ。

最近、街のいろいろな場所が「きれい」になった気がする。カメラの性能も向上して、簡単に、いい写真が撮れる。写真編集や加工も、ボタン一つで出来てしまう。印刷会社におねがいして、作ってもらっていたポスターなどは、スマホの無料アプリですぐに作れるようになった。ひとりひとりの、技術向上の可能性は広がっているが、簡単になってしまった豊かさの中に、人の心が埋もれてしまっているようにも思える。周りの速さに、心が追いつかないこともある。昼に笑顔でいて、夜には涙がとまらない・・。そんな風に生活している人もたくさんいると思う。

ベデスダの池に行かれた、イエスさまを思い出したい。