神の栄光のため
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姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられるラザロが病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」(ヨハネ11:3,4)
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死に直面する時が訪れたとしても、それは死で終わらないのだという。
イエスは、死を打ち破るために、
その体をもって、十字架にかかる道を歩まれた。
辛い出来事と、神の栄光(素晴らしさ)とは、どのように結びついているだろうか。
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イエスは涙を流された。(35)
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わたしたちの道しるべとなっているイエスさまは、
辛いときに、いつも共感の涙を流されます。
いつも、寄り添って、その御わざをされている。
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「ラザロ、出てきなさい。」(43)
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という、主のことばで、起き上がる。
そんな経験を、わたしたちは何度もしている。
悲しみがあったからこそ、見ることのできた景色がある。
死という悲しみに直面していても、
わたしたちは、神の栄光を、見ているのだ。