沈黙の意味
12月、アドベントも2週目となりました。
師走、極月、春待月。12月の呼称はいろいろありますが、
春待月(はるまちつき)は、春を待ち望むワクワク感があって、すてきな呼称だと思いました。
12月は、なにかと時間に追われることもあります。
そのようにシステマチックに思える時間の中でも、
わたしたちの救い主となって来られた主イエスさまの誕生を待ち望む時を、心静かに、過ごしていきたいと思います。
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「天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」(ルカ1:13)
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祭司ザカリアの祈りは、半ば習慣化していたのかもしれない。しかし、神さまの時が来て、ザカリアの願いは神に聞き入れられた。思いがけない時と方法だったので、ザカリアは恐れましたが、神は恐れるなと応えられた。妻エリザベトが男の子を産むその日まで、ザカリアは神によって口が利けなくされたが、この神の圧倒と、沈黙の時をとおして、神は、ザカリアの信仰を新たにされたのでした。
【今週のみ言葉】
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる。」
(詩篇46:11 口語訳)
なぜ、静まることから始めるのだろうか。
11節の「静まって」は、新共同訳では「力を捨てよ」とも訳されている。
人は、非常に、弱いものだ。
にもかかわらず、自分の小さな力にしがみついてしまうことをやめない。
だからこそ、静かにして、神さまのことばを知ることが、必要だ。
わたしは、最近、自分の文章が長くなってきていることに、
「なんだかうるさい」と思い始めています。
『雄弁は銀、沈黙は金』(Speech is silver, silence is golden)という英語のことわざが、
ボディブローのように、じんわりと、効いてきます。
たとえば、日常でも、しゃべりすぎた後に、
「あっ、しまった」と、しょっちゅう思うので、
自分でもイヤやなって思ったりもするのです。
しかしながら、そのあと、何か力が抜けて、
静かになることを経験します。
沈黙を感じることが、とても大切であることを、
ここで初めて認識します。
だから、聴いてくれている方にも、ほんとうに感謝で、
とても大切なのです。
パンが欲しい子犬のかんしゃくが収まるように、
しずかになることも、神の恵みがあってこそだと思いました。
わたしたちは神の恵みの中で、
「しゃべる・しずまる」のワンセットを、
何回も繰り返しています。
ありがたいことだと思います。
水にまかせるように、あるいは、
風にまかせるように、自分をあずけることができなければ、
浮かせる水の力や、風の動く力を
知ることができない。
力を捨てて、静まって、
神さまの時を待ちたいと願います。
今週も、感謝しつつ、
失敗から学びつつ、
共に賛美しながら、
歩んでいきたいと思います。