明るい信仰者

良く晴れた週末の午後に、

大きな公園を散歩しました。

ドングリを見つけるという目的のために、

下を向いて歩いていました。

グラウンドの周りを歩いていくと、

色んな大きさのドングリや、クリ、クルミ、

ツバキの実のはじけた殻など、

いろんな木の実がたくさん落ちていました。

そして、空を見上げると、

一体いつからここにいるの、と言わんばかりの大木が、

こちらを見下ろして、葉をゆらしていました。

足元には、枯れ葉が絨毯のように広がっていました。

落葉は、時間の経過とともに、土に溶け、

大木の栄養素となっていくのでしょう。

木々も、春夏秋冬を繰り返し、

絶え間なく変化していることを、

学び直した気持ちでした。

神さまの創られた自然のふしぎを

改めて受け取った時、

しあわせな気持ちになりました。

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いくつになっても、どんな時でも、

しあわせを見つけることができると、

信じていることが、

しあわせなのかもしれない。

では、どうしたらいいだろう?

どこに行っても、

神さまの存在を感じること。

これができたら、いいな。

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「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(Ⅰテサロニケ5:16~18)
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いつも神さまに信頼して、

明るい信仰者でいたい。

今日、そのように思えたことは、

しあわせなことでした。

たとえ、困難な状況を通されたときでも、

神さまの存在が、確かに、そこにあると分かったとき、

驚嘆というか、感激というか、

受け止めきれないほどの愛に出会ったというか。

なんとも言葉に表せない思いになります。

困難にあったときだからこそ、

主の愛がはっきりと分かる時があります。

困難は、人それぞれに、ちがいますが、

わたしたちは、それぞれに起こる出来事の中で、

絶えずイエスさまを受け入れながら、

感謝と喜びをもって、

進んで行きたいと思います。