明るい信仰者
良く晴れた週末の午後に、
大きな公園を散歩しました。
ドングリを見つけるという目的のために、
下を向いて歩いていました。
グラウンドの周りを歩いていくと、
色んな大きさのドングリや、クリ、クルミ、
ツバキの実のはじけた殻など、
いろんな木の実がたくさん落ちていました。
そして、空を見上げると、
一体いつからここにいるの、と言わんばかりの大木が、
こちらを見下ろして、葉をゆらしていました。
足元には、枯れ葉が絨毯のように広がっていました。
落葉は、時間の経過とともに、土に溶け、
大木の栄養素となっていくのでしょう。
木々も、春夏秋冬を繰り返し、
絶え間なく変化していることを、
学び直した気持ちでした。
神さまの創られた自然のふしぎを
改めて受け取った時、
しあわせな気持ちになりました。
***
いくつになっても、どんな時でも、
しあわせを見つけることができると、
信じていることが、
しあわせなのかもしれない。
では、どうしたらいいだろう?
どこに行っても、
神さまの存在を感じること。
これができたら、いいな。
******************************
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(Ⅰテサロニケ5:16~18)
******************************
いつも神さまに信頼して、
明るい信仰者でいたい。
今日、そのように思えたことは、
しあわせなことでした。
たとえ、困難な状況を通されたときでも、
神さまの存在が、確かに、そこにあると分かったとき、
驚嘆というか、感激というか、
受け止めきれないほどの愛に出会ったというか。
なんとも言葉に表せない思いになります。
困難にあったときだからこそ、
主の愛がはっきりと分かる時があります。
困難は、人それぞれに、ちがいますが、
わたしたちは、それぞれに起こる出来事の中で、
絶えずイエスさまを受け入れながら、
感謝と喜びをもって、
進んで行きたいと思います。