数からの解放
- 数に縛られること、ありますか?
考えてみました。わたしは、日々、いろいろな数の制限に惑わされています。
例えば、たんぱく質の1日の摂取量が1日50g必要とあれば、
食品の栄養表示をたびたび確認してしまうし、
賞味期限の1日切れたハムや牛乳は、食べられるかどうか・・など。
数に支配されている毎日です。
***
Ⅰサムエル記14章1~15節、当時はイスラエル王制時代。
イスラエルの軍勢は、脅威であるペリシテ人と戦っていた時代でもありました。
イスラエルの王サウルの息子ヨナタンが、従卒と2人でペリシテの戦陣に向かっていった時のことでした。ヨナタンが従卒に言いました。
*******************************
「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。(Ⅰサムエル14:6)
*******************************
こうして2人はペリシテ人の先陣に入り、2人で20人のペリシテ人を討ちとったのです。
数が問題ではない。
ヨナタンの、神への信頼から来ることばに、
数値に惑わされることが度々起こるわたしは、
はっとさせられました。
神さまは、数を見ておられない。
ひとりひとりの一瞬を、見ておられる方だ。
神さまは、ひとりを追い求められる。
神さまは、ひとりと出会うことを求められる。
数で安心させようとはなさらない。
イエスさまは、おっしゃった。
*******************************
ある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、
99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。(マタイ18:12)
*******************************
父なる神さまの御心を握って、
ひとりひとりの存在を、
かけがえのないものとして受け入れてゆくこと、
イエスさまは、そのように、ひとりひとりの心に寄り添われて、
行動された。これは弟子たちにも、求められていることだ。
数から解放されるカギは、
イエスさまの姿勢にあらわれている。
*******************************
「主が我々二人のために計らってくださるにちがいない」、「主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない」(Ⅰサムエル14:6)
*******************************
ヨナタンは、主に信頼して、
行動を起こして、打ち勝った。
一緒にいた従卒も、ヨナタンに、とても励まされたと思う。
わたしも、
「光る君、ヨナタン王子、キターー!!」
と、ただヨナタンを推してるだけの人ではなくて、
ヨナタンのように、主に信頼しつつ、
生きていきたいと、思いました。
自分の中には、
ダビデには、ヨナタンのような人がいて、
とても恵まれているな、と思って、
ヨナタン待ちしていたようなところがあったのですが、
Ⅰサムエル記14章のヨナタンを見ていると、
自分が、ヨナタンのような心持ちでいることが、
いちばん大切ではないかと!!
推しが、教えてくれました。
「1人光る、みな光る。なにも彼も光る。」
という、陶芸家の河井寛次郎のことばも響いてきました。
聖霊に満たされつつ、
自ら光を放つとき、
何もかもが光っていくことを信じて、歩んでいこう。
(聖霊により)光る君に、オレはなる。