数からの解放

- 数に縛られること、ありますか?

考えてみました。わたしは、日々、いろいろな数の制限に惑わされています。

例えば、たんぱく質の1日の摂取量が1日50g必要とあれば、

食品の栄養表示をたびたび確認してしまうし、

賞味期限の1日切れたハムや牛乳は、食べられるかどうか・・など。

数に支配されている毎日です。

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Ⅰサムエル記14章1~15節、当時はイスラエル王制時代。
イスラエルの軍勢は、脅威であるペリシテ人と戦っていた時代でもありました。

イスラエルの王サウルの息子ヨナタンが、従卒と2人でペリシテの戦陣に向かっていった時のことでした。ヨナタンが従卒に言いました。
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「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。(Ⅰサムエル14:6)
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こうして2人はペリシテ人の先陣に入り、2人で20人のペリシテ人を討ちとったのです。

数が問題ではない。

ヨナタンの、神への信頼から来ることばに、

数値に惑わされることが度々起こるわたしは、

はっとさせられました。

神さまは、数を見ておられない。

ひとりひとりの一瞬を、見ておられる方だ。

神さまは、ひとりを追い求められる。

神さまは、ひとりと出会うことを求められる。

数で安心させようとはなさらない。

イエスさまは、おっしゃった。
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ある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、
99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。(マタイ18:12)
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父なる神さまの御心を握って、

ひとりひとりの存在を、

かけがえのないものとして受け入れてゆくこと、

イエスさまは、そのように、ひとりひとりの心に寄り添われて、

行動された。これは弟子たちにも、求められていることだ。

数から解放されるカギは、

イエスさまの姿勢にあらわれている。

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「主が我々二人のために計らってくださるにちがいない」、「主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない」(Ⅰサムエル14:6)
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ヨナタンは、主に信頼して、

行動を起こして、打ち勝った。

一緒にいた従卒も、ヨナタンに、とても励まされたと思う。

わたしも、

「光る君、ヨナタン王子、キターー!!」

と、ただヨナタンを推してるだけの人ではなくて、

ヨナタンのように、主に信頼しつつ、

生きていきたいと、思いました。

自分の中には、

ダビデには、ヨナタンのような人がいて、

とても恵まれているな、と思って、

ヨナタン待ちしていたようなところがあったのですが、

Ⅰサムエル記14章のヨナタンを見ていると、

自分が、ヨナタンのような心持ちでいることが、

いちばん大切ではないかと!!

推しが、教えてくれました。

「1人光る、みな光る。なにも彼も光る。」

という、陶芸家の河井寛次郎のことばも響いてきました。

聖霊に満たされつつ、

自ら光を放つとき、

何もかもが光っていくことを信じて、歩んでいこう。

(聖霊により)光る君に、オレはなる。