救い主の訪れ
救い主イエスは、神さまと離れてしまった地上の全ての人を救うために、この世にお生まれになった。神である方が、へりくだって、この地上に来てくださり、十字架の贖いを実現してくださった。「すべての人の暗闇を照らす、まことの光があって、世にきた(ヨハネ1:9)」方である。
イエスさまの母になるマリヤは、結婚前に、聖霊によって自身が身ごもったことを、天使から告げられた。
信じられない出来事が、自分の身に起こった。マリヤは天使を前にして、自分に起こる運命を受け入れたが、この身に起きたことを、ひとりで抱え込まなくてもよかった。天使が、マリヤの親戚のエリザベツおばさんのところにも、半年先に子どもが生まれると言い残したのだ。エリザベツおばさん。あなたがいてくれてよかった。分かってくれそうな人がいたこと、分かち合えたことに、マリヤはどれだけ励まされたことだろう。
エリザベツが男の子ヨハネを生んだ時、夫である祭司ザカリアは、神さまを賛美し、これから来られる救い主のことを預言した。
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「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、(ルカ1:68)・・神の憐れみ・・によって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカ1:78,79)
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わたしたちも、日々、イエスさまによって平和の道へと導かれていくことを経験する。
後ろを振り返ってしまうと、まだ苦みの残ることもあるやもしれない。
しかしそれにもはるかに上回る、大きな神さまの恵みが、24時間365日、不眠不休で注がれていることを忘れないでいたい。
天使は、受胎告知の時、マリヤに言った。「神にできないことは何一つない。(ルカ1:37)」と。
主は、わたしたちが、本当に困った時、途方に暮れているその時を、いちばん知ってくださっている。日々の生活の中で、それに気づかされていることがあると思います。神さまは、わたしたちのことで知らないことは、何一つないのだ、と。
わたしたちにも、ひとりで抱え込むことができない状況は度々起こるけれど、主は、分かりあえる人や支えてくれる人を、この身に備えてくださっている。主に信頼しながら、お互いに励まし合い、平和の道を歩んでいきましょう。