憐みによる赦し

「父の日は、いつも、プレゼントをされるのですか?・・じつは、花屋は、「母の日」は賑やかなのですが、「父の日」はわりと静かに時が過ぎていくものですから。」

花屋の店主からの、突然の問いかけだった。
店内には誰もいなかったので、なんとなく質問をされたのかもしれない。

「いいえ。父の日に、花屋さんで花束をオーダーしたのは、初めてかもしれません。あまり記憶にないんです。恥ずかしながら、この歳になって、やっと、花を贈ろうという気持ちになれました。」と、私は答えた。

すると店主は言った。

「同感です。この年齢になって、気づくこと、ありますよね。」

そして、鮮やかな色の花束を、手渡してくれた。

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赦すことの難しさについて、分かち合った。
誰かのせいで、傷を負ってしまった、と考えて、いつまでもその相手を赦すことができないのはつらい。
ちっとも赦してもらえないのもつらいけど、、「赦さない!」と思って生きていくのも、同じくらいつらいことだ。

イエスさまは、兄弟の罪を赦す回数を尋ねてきたペテロに対して、「・・7の70倍まで、(相手を)赦しなさい(マタイ18:22)」とおっしゃった。数の問題ではなく、無制限に赦しなさい、ということだ。

イエスさまは、赦しのことで、天の国のたとえを用いられた。
1万タラントンの借金(約1兆円)を抱えた家来がいた。主君が返済を命じた時のこと。
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家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。(マタイ18:26,27)
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主君の憐みによって、借金がなくなった家来は、その道中、自分が100万円を貸している仲間と出会った。家来は借金返済をせまり、仲間を牢獄に閉じ込めた。主君は、これを聞いて憤慨。家来は、借金返済まで、牢獄に入れられます。
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「・・わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。(33)」
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主の願いは、人に対する憐みをもちなさい、ということ。

自分のことには、甘くなってしまい、
相手には厳しくなってしまうところが、わたしたちにもある。
わたしは、数えきれないほどの罪の借金を、主に赦されているのにもかかわらず、です。

それぞれの人生は、いろんな時が、まるで地層のように、積み重なっている。
ほんとうは、捨てたい鉄の塊のような大きくて重たいゴミが埋まっているのに、そのまんま残っていることもある。
人知れず埋めた、大きな悲しみが、ひっそりと沈められていたりします。

赦せない何かに遭遇した時は、
心の底にある鉄のゴミが、
まるで磁石に引っ張られるかのように、
疼いているのかもしれない。

自分の心のゴミも見えていないのに、
赦せない人がいなければよかった、と思えるだろうか。
心は、神さまを呼ばずにはおれない貧しさを持っている。
必ず主がふれてくださると信じて、祈っていきたい。

主イエスは、十字架の贖いをとおして、
自分ではどうすることもできない辛い思いを、持っていってくださった。
神さまに求めていこう。

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「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。(マタイ6:12)」
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