慰めの子

「こうして、教会は。」聖霊の導きに従って、初代教会は、発展していった。
信徒同士、みんな、仲良くできたらよかったけれど・・色々な意見の衝突がありました。

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・・パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へ、もう一度行って、兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」(使徒15:36)
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パウロは、2回目の伝道旅行に一緒に連れていくメンバーを選んだ。

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バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。
しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。
そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。(使徒15:37~40)
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パウロが「一度ドロップアウトしたマルコを一緒には連れて行かない」と言ったことで、バルナバは、パウロと袂を分かつことになってしまった。

パウロは旅のメンバーを慎重に選んでいたのだろうか。とにかく、一回目の旅の途中で抜けてしまったマルコの行動が理解できなかった。途中で抜けるということは、マルコの気持ちの変化があったからだろう。

この2回の伝道旅行、パウロだったから、苦しい旅にも耐えられたところもあると思うが・・もしかしてパウロって、後ろで誰かがこけていても、気づかないタイプなのかな??わたしは、パウロみたいに、誰かを置いて行ったこともあるし、マルコみたいになった時もあり、どちらも身に覚えがある。

今は、パウロとマルコのことは置いといて、

「バルナバ」とは、本名ではなく、

”慰めの子”という意味のニックネームらしい。

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「ところが、バルナバはパウロの世話をして、パウロを、使徒たちのところへ連れて行き、…」(使徒9:27)
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じつは、サウロ(改めパウロ)が回心して、使徒の仲間に加わろうとしたとき、パウロを使徒たちのところに一緒に連れてきたのはバルナバであった。バルナバ、めっちゃいいやつだ・・慰めの子。

マルコは、自分が旅のメンバーに選ばれなかったこともつらかっただろう。そして自分のせいで、長年の友であったパウロとバルナバが別れてしまったことは、さらにつらい出来事だったろう。そして、バルナバが、マルコを連れてキプロス島へ一緒に行くことを選んだ時・・・マルコは、彼に、とても慰められたことだろう。

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「本当につらいときって、言葉にでてこないものなのよ」

と、ある人が言った。

だから、悩みを友達に話しているときは、

もうそれは悩みではなくて、

すでに解決の糸口があるときなのだという。

なるほど、悩みには、

そういう側面も、あるかもしれない。

「悩みを言葉にできない」という事があったりすると、

悩みの中にある人を慰めることが、難しい。

しかしながら、神を信じる人にとっては、

神さまは、聖霊さまは、私たちの慰め主である。

イエスさまは、サマリヤの女(ヨハネ4章)のところに来て、

彼女の素性を言い当てた。

女の悩みを、すでにご存じの方であった。

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「神はあらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださるので、私たちも神から頂くこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます(2コリント1:4)。」
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どんな困難があっても、わたしたちは、

神によって、慰められている。

悩みの中にあっても、

そこにはいつも神がおられて、

一緒に歩む人生を、歩かされている。

生きていると、そのように感じる。

深い悩みのある時は、

わたしと、神さまとが、

もっと親しくなる好機なのだね。

バルナバは、マルコが旅のメンバーから外されたところを

目の当たりにした。

そんな時に、彼は、マルコの気持ちに寄り添った。

慰めの人だった。

マルコが書いた福音書には、
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それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)
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と記されている。

マルコ、いい人がそばに居てくれて、よかった。