悪人にも善人にも

日曜日、近所の川沿いに植えられているサクラ並木の下を歩きました。

あちらこちらで咲いているサクラが、

天の父の降らせてくださる、恵みの雨のようにも思えました。

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あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5:45)
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どんな人にも、太陽を昇らせられ、

雨を降らせてくださる天の父なる神さまは、

どんな人にも、美しい花を、見させてくださる方だ。

身近な自然は、神さまのことを、

いつもやさしく教えてくれる。

「履き違える」。物事の意味を間違えて理解することは、よくあります。相手の思っていることを理解するのに、わたしたちは、ことばのやり取りや、絵など、色んな方法で、理解しようとします。しかし、なかなか通じ合わない状況が続くとき、もどかしい気持ちにもなります。
そして、また、人は・・神さまの心をも、「履き違える」こともある。
イエスさまがこの世におられた時、ユダヤ社会の律法学者たちは、
レビ記19:18の、「・・自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」という律法を履き違えて理解して、人々に「隣人を愛し、敵を憎め」と、教えていた。イエスさまはおっしゃった。
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「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5:43~45)
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人は、だれでも、手厳しく辛く当たる人に育てられている部分を

持っていることを忘れずにいたい。

きっと、味方ばかりで、

やさしくしてくれる人ばっかりだったら、

人はよわいから、甘えてしまうだろう。

敵と向き合って、傷んで、はじめて、

心の深いところから変えられる経験をしたことが、

誰しも、あるかと思う。

神さまは、すべての人を受け入れて、

すべての人を育んでくださる方だ。

理解できずに、すぐに履き違える、わたしのことも、

敵としてではなく、隣人として、愛してくださっている。

理解できていないわたしのことを、担ってくださっている。

この大きな愛の中で、今も、育まれていることを、

忘れずにいたい。

イエスさまの救いをとおして、

神さまのことを知らされた時、

神さまと、わたしたちの交わりの道がひらけた。

父なる神さまの、絶え間ない恵みを喜んで、

今週も、歩んでいきましょう。