志を立てさせて

もう10月になってしまいました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。おうち時間がたっぷりと与えられたので、今まで生きてきた中で、一番というくらい、草むしりをしました。2021年度の教会聖句を分かち合いました。

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「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ピリピ2:13)
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1.一人一人が、置かれたところで志を立て事をおこなう
「そうは言っても・・」そのような、しんどいときは、地に根をはって「わたしはしんどいです」と、イエスさまに伝えていこうと思う。

2.変わらない主の教えに忠実でいよう
松尾芭蕉の「不易流行」という言葉を聴いたとき、テレビでコントの賞レースを見てた時のことを思い出した。とても良かった。わたしが子どもだった頃のお笑いと、今のお笑いは、確実に変化している。それでも、笑いの中に、「泣ける」というか、たまに、誰もが感情をグっと揺さぶられるような要素が入っている。お笑いの中に、それを垣間見た時、笑いを超えて、感動する。

「不易流行」、変化していく中にも、変わらないものがあるということ。それを、日々の生活や交わりの中に見つけるたび、人は、豊かな気持ちになるのかもしれない。

世の中のことって・・めっちゃ変わる。今はマスクを忘れたら、家に取りに帰ろうと思うくらい、変わってしまった。日々選択し続ける生活の中で、イエスさまならどうされるのかを思い起こしたい。

3.祝福の源であることを認識する
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主はアブラムに言われた。「・・わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、・・・祝福の源となるように・・」(創世記12:1,2)
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罪人と周りから言われていたザアカイに、イエスさまは、「この人もアブラハムの子なのだから」(ルカ19:9)とおっしゃった。
使徒パウロは、「・・アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり・・」(ガラテヤ3:14)と語った。祝福の源として、おかれていることを忘れずにいたい。

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庭の木々を眺める。ここにはナンテン、そこにはツツジ、あっちにはアジサイ・・みんな、定位置に植えられている。庭においては木々の配置をデザインした人がいた。

神は、わたしたちを、今の場所におかれている。
咲けずに涙しか流れない時もあるかと思う。イエスさまはそばにいつもおられるから、そのような時も、安心して、いいと思う。

いつも感謝して、今日も過ごそう。