復活を大いに喜ぶ


教会の庭に、チューリップの花が咲きました♪

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家に帰ると、子どもが家庭科の宿題をしていた。テーマは「自分の乳幼児期」。
生い立ちや、名前の由来、好きだった遊びなどをまとめて書くという。
それに加えて「乳幼児期の写真を一枚添付」とのことだったので、早速、押し入れの奥から、写真を引っ張り出した。一番年齢が上の子どもの写真が圧倒的に多かった。さらには、長子の写真はアルバムにきちんと収まっているのだけれど、宿題が出ている第2子の写真は、現像したものが束になって包み紙にくるまったままだった。第3子に至っては、現像枚数が圧倒的に少なくデータのままで保存している。この現象はわたしが子どもだった頃の、きょうだいのアルバムの冊数にも同じく現れていた。これも自然のなせる業なのだろうか。そして、親になったわたしは、子でもあったのだ。

先日観ていたドラマ『俺の家の話』の話。能楽師の家に生まれた長男と、人間国宝であった父親が、父の介護や跡継ぎの問題がありながらも、大家族の中で一緒に生活しながら、家族がそれぞれの置かれた場所に収まっていく話だった。家庭の問題がありながらも、伝統芸能を演ずる親子、そしてその周りの人々の物語。ドラマの最終話で、『隅田川』という演目が流れたときの一節が心に残った。
『親というものは 子を思うあまり 事実を受け入れられないものだ・・・』

ドラマの中の長男は父親のところに現れて、とても静かに、自分の思いを打ち明けることになった。一度も褒められたことのない長男は、人間国宝だった父親に、ただ、自分のことを、褒めてほしかったのだった。子どものころからの願いだった。そして、この出来事があったからこそ、家族が前進したのであった。

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神は、ひとりの考えることや紡がれた言葉の、ひとつひとつの感受性を知っておられる。地上の父のことも子のことも、その人たちが、生まれる前からご存知である。そのような天の父が、送ってくださったのが御子イエスさま。私たちの罪のために、十字架にかかられて、3日後に復活されたことで人の救いを完成してくださった。毎日、いろいろな状況があるけれども、イエスさまの復活により、倒れても起き上がれる力となっている。復活のイエスは今もおられる。復活の事実は、イエスのお墓の前で絶望していた二人の女が、御使いに言われたように、思ってもみない形で分かるものなのかもしれない。

新年度も、個人が、家族が、地域が、日本が、世界が、神の愛と平和に満ちますように。

【今週のみ言葉】
「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」(マタイ28:7)