強く、また雄々しくあれ
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モーセはモアブの平野からネボ山、すなわち…ピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。…あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。主の僕モーセは、主の命令によって、モアブの地で死んだ。(申命記34:1~5)
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モーセは、リーダーとなっていた40年でたった1回の失敗(民数記20章)のために、約束の地に入ることができなかった。モーセは神の言葉を受け入れると、イスラエルの民の前に出て、新しいリーダーとなるヨシュアを励ました。
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主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。(申命記31:8)
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神さまに肩をたたかれたモーセの話。
夢が最後の最後で叶わなかったらといって、
神さまがいないわけではないのだ、と思った。
いつだって、神さまは、共におられるのだということを覚えたい。
自分の味わった痛みや苦しみが、
誰かを励ますことになる日があると思う。いや、その機会に、いつだって、わたしたちは遭遇しているのだ。
どんな時も、誰かを勇気づけて、励ましていくことができますように。
イエスさまは弟子たちに言われた。
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「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ10:15)
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家の掃除をしていたら、昔使っていた音楽プレイヤーが出てきた。
それを初めて見た小学生の息子が言った。
「ネットワークに繋がないで、音楽が聴けるなんて・・・(この機械は)画期的だね!」
今の子どもたちにとっては、ネットワークで音楽を聴くことが当たり前だから、この古い装置が、新鮮だったのでしょう。
しかしながら「画期的!」という言葉にハッとした。子ども自身が感じた、率直で前向きなことばを聴いたからだ。
神の国は、神の愛と清さと自由が、満ち溢れている。
子どもたちのような人が、神の国には集まっているのだという。
うれしいことがあると喜んだり、悲しいことがあるとすぐに泣いたり、
思っていることを、ポンっと言えたりする姿は、子どものような素直な心があるからだ。
それぞれに困難があるだろう。弱さもある。
しかし、神さまは、そんな不完全で弱い存在のわたしたちを、
主の御名によって、用いられ、神の栄光を現わされる。
失敗もあるかと思うが、それでも、素直でいたい。
つまづくことがあっても、神さまの御手の中。
強く、また、雄々しく生きていこう。