希望の道
ルカの福音書24章13節~32節。イエスさまの復活の日、2人の弟子がエルサレムからエマオという村に向かっていた。イエスさまが十字架にかけられ、墓に葬られた。そんな失意の中を、弟子たちは歩いていたのだ。弟子たちは道の途中で、ある男と合流した。男との会話の中で、弟子たちは、今朝自分たちのところに来た仲間の女性たちが妙なことを言っていたことを男に伝えた。天使たちが来て、イエスさまが生きておられると告げた、というのだ。ある男は、そのまま弟子たちと泊まることになり、彼らの前で、祈りと賛美をして、パンを裂いて渡された。弟子たちは、そこで目が開けて、その男が、復活されたイエスさまだと分かったのであった。
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「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24:32)
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いつだれがどこで、イエスさまに出会うのかは、人それぞれにある。
出会われたお話を聴くと、イエスさまは、今もここに、生きておられるということを感じて、励まされる。
普段の生活の中で、理解されなくて、辛くなる時があっても、
共に生きてくださっているイエスさまがおられるから、
大丈夫なんだと思う。希望の道が、そこにある。
三浦綾子氏が星野富弘氏との対談で言われた
「私ね・・・人から誤解されることがあったりする時・・・分かってもらえない状態、というのも、楽しんでいられるっていうか。・・・しばらくの間、誤解されていても、良いじゃないか、と思ったりもするのよ。神様と私だけが知っているなんて、すごい密接な関係よね。」
という言葉が、新鮮だった。
誤解の時間を楽しめるって、いいなって思った。
心配事があると、さらに神さまを求めるから
やっぱり、どんな状況でも、感謝して祈っていこう。
そんなふうに感じた、
イエスさまの復活をお祝いする日でした。