守ってくださったのは主
自分の気持ちを受け入れてくれると、安心する。
きっと、少しずつ、親しみを感じていくだろう。
ペリシテのアキシュという人も、少しずつ、ダビデを信頼していったのだろう。
Ⅰサムエル記27章以降、イスラエルのサウル王から逃亡を続けているダビデ。彼は兵600人と共に、ペリシテの地・・ガトの王アキシュの元に身を寄せた。ダビデは、ペリシテに留まりながら、アマレク人を襲っていた時も、ユダの地域を攻撃しているかのようにみせかける。アキシュに嘘の報告をしていたのだった。
アキシュはダビデに言った。「あなたもあなたの兵も私と一緒に戦陣に加わることを、よく承知していてもらいたい」(Ⅰサムエル28:1)ダビデの嘘は、自分たちが、ペリシテ人と一緒になって、イスラエルを襲わねばならないというピンチを招いた。
ペリシテ人の軍に加わってダビデの軍もイスラエルに向かって進む。その途中でペリシテの将校たちがダビデを疑い出し、ダビデと兵士600人は、自分たちの家に帰ることになり、ピンチを免れた。町に帰ると、そこはアマレク人の逆襲に遭い、家族も連れ去られていた。ダビデと600人は急いでアマレク人を追いかける。そのうち200人は疲労でベソル川にとどまったが、残りの400人はアマレク人に勝利、奪いとられたものをすべて取り返した。400人の中のならず者が言った、「彼ら(200人の人々)は我々と共に行かなかったのだ。我々が取り戻した戦利品を与える必要はない・・。」しかしこれに対してダビデは言った。
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「兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはいけない。我々を守ってくださったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ。誰がこのことについてあなたたちに同意するだろう。荷物のそばにとどまっていたものの取り分は、戦いに出ていった者の取り分と同じでなければならない。皆、同じように分け合うのだ。」(Ⅰサムエル30:23)
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ダビデって、いろいろと間違う人だけど、主に栄光を帰し、皆と同じように分け合うことの出来る人でもあった。役割に優劣はない。主にあって与えられたところに、ひとりひとりが置かれている・・。
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「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」(Ⅰコリント12:21,22)
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色々な人と一緒に、一つのことを成し遂げようとする時、どんなことを大切にしているだろう。
例えば、
誰かのいいところを見つけると、うれしくなる。
そこにいるだけで、誰かのいいところを知る時間が持てるのは、感謝なことだと思う。
また、誠実な気持ちでありたいと思う。
互いに気持ちが分からないところがあっても、寄り添うことを忘れないでいたい。
イエスさまは、誰よりも、どんな時も、ずっと、寄り添われる方。
だから、イエスさまの愛ってすごいと思う。
とげとげした心も、絶対に離さないし、受け止めてくださる。
わたしの罪のために、血をながしてくださる唯一の方である。
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「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19:10)
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