変化を恐れない

初代イスラエルの王となったサウルがペリシテ人と戦っていた時、神さまの命令ではなく、自分のやり方を優先した。その結果、裁き司のサムエルに「あなたは愚かなことをした。・・しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。(サムエル上13:13,14)」と、言われてしまう。

サウルは、主に従うことができなかった。
わたしたちも、自分の思いを優先して、
失敗することが、あります。

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イエスの時代、
ベテスダという池の回廊に、
38年ものあいだ、病で苦しんで横たわっていた人がいた。
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イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。(ヨハネ5:6)

病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」(ヨハネ5:7)
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病の人の口からは、素直に、
「よくなりたいです」とは、出てこない。
言い訳のように聞こえてしまう。
でも、こういうこと、自分だって、あると思った。
願っているけれど、なかば、諦めていることに対して、言い訳をしている。

話は変わるが、
昨晩、阪神タイガースが38年ぶりに日本一になった。
38年前、周りの大人たちが喜んでいたことを覚えている。
私は小学生だった。

あの時から、昨晩まで、38年。
ベテスダの池の人が横たわっている期間を想像する。
その歳月は長すぎて、気が遠くなった。

病の人は、38年もの間、何もしなかったのだろうか。
1日10センチくらい、池のそばに進めば、10日で1メートル進む。
池に近づけば、池に一番に飛び込んで、病が癒される確率だって上がるだろう。
自分で動いていた時もあって、池に近づいた日々があったかもしれない。
池の周りの、どのあたりに居たのだろうか。

次々に癒される人を見ながら、
いつのまにか、あきらめて、
横たわるだけになったのかもしれない。

イエスさまは、この、病の人の言い訳の向こう側にある、
彼の心をご存知だった。
彼はイエスと出会って、癒され、
床を担いで歩いて行った。

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自分の、偏った思い込みは、自分では直しにくい。
ひとりで考え込んでいる期間が長い時、
つらいことをひとりで持っている時、
みんなで話していたとしても、孤独を感じる時。
こんなことが続くと、自分で自分の偏りに、拍車をかけてしまっているかも。

自分の気持ちを素直に出していくことは大切だ。
また、相手を知ろうと思う気持ちも大切だ。
「分かってもらうことは無理だろう」と思いこんでしまうのは、もったいない。
上手く伝わるか、受け止められるか。
変化に対して、揺らぐ気持ちはあるけれど、
それでも、あきらめない気持ちは、もっていたい。

人は、変化を恐れがちだ。しかし、人生のある時には、大きな変化をもたらすような経験がある。そんな、大きな変化を起こしてく出さる方が、聖霊さまだ。聖霊さまが、私たちの、歪み、偏り、ズレ、自分勝手な思い込みを、調整、修正しくださる。わたしたちは、変化を恐れなくてもよいのだ、と、励まされている。

昨晩、阪神タイガースが38年ぶりに日本一になった。(ちょっとしつこいかな。)
眠れるトラが目を覚ました。
ベテスダの池で、38年も病床に居た人は、イエスさまに出会い、癒され、床を担いで歩いて行った。

わたしたちも、イエスさまに出会った。
その床は、もう担げるのではないだろうか。
変化にも期待しながら、今週も歩んでいこう。

【今週のみ言葉】
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているのです。」(ローマ5:5)

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