喜びにあふれる

「このタイヤを、過信しない方がいいですよ」

スタッドレスタイヤの交換した後、修理担当のお兄ちゃんが私に言った。

じつは、タイヤの摩耗が進んでいることを以前も指摘されていたのだけれど、

わたしが、その指摘をスルーして、交換を頼んだ、

という、経緯があった。

わたしは、お兄ちゃんに対して、

誠実じゃなかったと、思った。

「過信」の対義語は「慎重」とあるけれど、

「慎重」やったら、むしろ、新しいタイヤに交換するだろう。

タイヤを過信していたというよりは、

わたしが、お兄ちゃんの声を信じていなかったのだ。

「(タイヤの)過信」ではなく、

「(人を)信じなさ過ぎ」だと、

お兄ちゃんの声によって示された気がした。

母が、父の性格について、このように言っていたことがある。

「お父さんはいつも、石橋を叩きすぎて、石橋を破壊してしまうところがあるよねぇ」

わたしは、ばっちり、何かしらを受け継いでいる気がした。

過ぎたるは及ばざるがごとし、

電話した。

「もしもし、やっぱり、タイヤ、新しいやつに交換してください」

***

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆同様であった。(マタイ2:1~3)

救い主の誕生は、ヘロデやエルサレムの人々からは歓迎されないものであった。
人々は現状維持を望んでいたようである。そこまでして、ユダヤの人々は、ローマから独立したくはなかった。

変わることがしんどい時があるやもしれない。

しかしながら、急に、転機が訪れて、

今とどまっているところから、

違う景色の見える所に、連れていかれることがある。

人生の大きな転機には、そのようなことがあった。

わたしたちは、自分で選択しているように見えて、

実はそうではないのかもしれない。

人生の主導権は、救い主であるイエスさまが、握っておられる。

それを、わたしたちひとりひとりに、

いろんなところで、示してくださっていると思う。

それが分かると、うれしくなる。

神さまは、ひとりひとりを、見捨てられない方だと思う。

東の方の博士たちが急に現れて、

救い主が生まれることを知った時、

現状維持を望む人々は、不安になった。

しかし、救い主を信じていた、遠い遠い国の博士たちは、

幼子であるイエスに出会えたのだ。

大きな星に導かれて。

主を求める人には、出会いがあるのだ。

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家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼ら(博士たち)はひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイ2:11)
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主の誕生で、喜びにあふれる。

暗闇にいのちの光をあたえて下さる方がお生まれになった。それがクリスマス。

今週も、神さまに信頼して、歩んでいこう。