命にあずかる方が良い
あちらこちらで、つつじが満開です。青い空に、鮮やかなピンク色。
教会の庭にあるシャクナゲもきれいに咲いていました。
この1年、自粛やら何やらで、あまり自由に外出はできない。
でも、そのせいでしょうか、花がきれいに見えます。
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「つまずき」について、聖書が語っているところを学びました。
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「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、…不幸である。」(マタイ18:6,7)
「もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」(マタイ18:8,9)
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人は、命にあずかる方が良い。
自分の中に、つまずきの元となるものがあるならば、それを避けて生活するのが良い。
わたしたちは、これまでもいろんなつまずきの石に転んできたし、これからも転ぶでしょう。
そんな中で、イエスさまは、わたしたちが、命にあずかることを願っておられる。
また、誰かに向かって石を投げないように、
使徒パウロは、弱い人たちのことを配慮して、自制している。
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食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。(Ⅰコリント8:13)
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パウロ自身は「肉を食べても大丈夫」と思っていましたが、(偶像に捧げられたかもしれない)肉を食べることを恐れていた人のことを思いやって、彼らの行いに合わせる行動をとったのでした。
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「ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。(Ⅰコリント8:9)」
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皆で一緒に、ひとつの山に登っていくことを思い浮かべる。
パウロのような人は、みんなをリードできる人でありながら、列の最後尾を歩いていくことができる人なのでしょう。そのような姿勢でありたい。
石につまずくことがあっても、イエスさまがおられるから、
信頼して、今週も、一歩ずつ進んでいこう。