信仰の原点
今朝、家族を駅まで送迎した後の帰り道のこと。
朝が早すぎて、まだ、暗かった。
信号待ちをしていたら、
あまり見たことのない巨大重機が、複数のライトを放って、
大きなタイヤをぐるりと旋回させながら、
ゆっくりと左折していった。
大きすぎて、移動しづらい重機は、
人が眠っている、車が少ない時間帯に働いていることも多い。
なんとなく、
暗闇が深い中で、働かれている神さまのことを、思い出した。
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「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません」(Ⅰコリント6:19)
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神さまは、24時間365日、夜も昼も働いておられるが、
誰もが眠る中、ひとり眠れずに、
暗闇にいる人に、
神さまは、
心配りを、十分になされる方だ。
心の内にある聖霊の宮は、
神さまの存在を、どんな時でも、
思い起こさせてくださる。
これは、
ほんとうに感謝なことだと思う。
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信仰の原点。
クリスチャンになる前に、なぜ教会に来たのかを、思い出してみる。
人生の中でいちばんつらい時、心身共にサイアク。
これから、どのように生きていったらいいのかが、
自分のことなのに、分からなかった。
暑い中、
慰めてくれる人達が、たくさん、家に来てくれた。
そんな中で、小さな子どもを一時的に預かってくれたのが、教会だった。
それからすぐに、聖書の学びを始めた。
考えてみると、
気分サイアクのままに、
自分の意思で、会いに行っていたその人が、
聖書の中にある、イエスだった。
何で、信じたのか?
ひとことで言うと
「ほんとうのこと」だと思ったからだ。
頭で、というよりは、直感。
わたしは、
33歳まで聖書の事、ほとんど何もしらなかった。
イエスさまとは、真逆な年月を生きていたわたし。
そんな、わたしの身代わりに、
イエスさまは、十字架に架かられ、死なれた。
そして、3日目に、よみがえられた。
暗闇が深いほど、
光は、強く感じられる。
自分に起こった、サイアクの事態は、
「ほんとうのこと=イエスの救い」に導かれるために、
どれもこれも、必要だったのだ。
あとになればなるほど、
そのように思うのである。
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バビロン捕囚から解放されて帰還したユダヤの民は、神殿再建を行なったが、
反対勢力からの圧力により、工事は、16年間頓挫した。
16年か、あ、うちの家が建ってちょうど16年目だ。
板張りの家は、もうあちこち、リフォームが必要になってます。
・・そんなにほったらかしていたら、神殿は、傷んでしまう!
それよりも、なによりも、
神さまのこと、忘れてしまっていない?!
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「 この宮が廃墟になっているのに、あなだがただけが板張りの家に住む時だろうか。 」(ハガイ1:4)
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預言者ハガイは、ユダヤの民を悔い改めに導き、建設を再開したのでした。
頑固であるとき、諦めている時が、たびたびある。
神さまを信じてからも、わたしたちはつまずくし、やらかしてしまう。
でも、そのたびに、わたしたちは、
倒れた身体を、主が、起こしてくださる経験をする。
小さな迷子の羊を、また元通りに、
群れに導いてくださる経験を、何度でもしている。
感謝して今を生きようと思う。
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初めのころを思い出す。
イエスさまに積極的に会いに行っていた頃の、自分を思い出す。
また、さまざまな兄弟姉妹とのつながりの中で、
能動的に、「この良い知らせを、あの人に伝えたい!」と、
戸を叩いたことを、わたしは忘れていなかった。
初めの愛に戻ろう。
年をとったなんて、言わないでおこう。
涙にぬれた労苦も、主にあって導かれ、
益とされていくんだと、信じて、
今週も歩んでいこう。