信じるということ

主を信じることによって、日常生活に、どういう奥行きが起こされていくのだろう。
日常生活で、平安な心を保つのは難しいときが多い。
けれど、主は、言われる。

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「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)。
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最近、いろんなスポーツが行われていて、観戦が楽しい。
今日、全米オープンテニスが終了した。
静かに行われる試合の中で、
選手の緊張感が、見ているこちらにも伝わってくる。
選手は、仮に足が痛くなっていても、それを顔に出さなかったりする。
(ある時には、痛そうな表情を見せて、相手の隙をつくこともある)

試合の中では、ピンチになる場面がいくつも訪れる。
選手自身は、自身の動揺に、その都度向き合う。
揺らいでも、動じない心持ちでいることを、
試合を通して、教えてくれる。

動揺する場面にあっても、心騒がせないこと、大切だ。

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また、イエスさまを信じることで、
良いことと悪い事を判別することのできるように、敏感さも備わっていく。

自分の中にある、過ちを見落としていないだろうか、
愛がないゆえに、目がぼやけてしまっていないだろうか。
揺らぐ時、敏感になる時、
それは、自分自身と向き合う、機会でもある。

もうひとつ、
イエスを信じていく中で、
自分はパイオニア(先駆者)なんだ、という意識を持って良い。

-Q.パイオニア(先駆者)と聞くと、誰を思い出しますか?何をされた方ですか?

ちょっと昔ですが、一番に思い浮かんだのは、
近鉄バッファローズからロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄でした。
イチロー、ダルビッシュ、大谷・・数々の日本人メジャーリーガーが今ではたくさん名前が挙げられるけれど、わたしは、野茂のことを忘れないと思う。

もうひとりは、『大草原の小さな家(ワイルダー著)』に出てくる、三姉妹のお父さんだ。
西部を開拓する旅をする家族の話。お父さんは、現地で材料を集めて、住む家を作る。
また移動。また作る。これの繰り返し。とても印象深い。
このお父さん、少し、自分の父親に似ているからかもしれない。
父は、もう高齢になって力仕事は無理だが、
いつも、何かしらを運んだり作ったりしていた。シーソーと、平均台と、背の高い鉄棒も作ってくれた。
隣の家から不要なカーポートをもらって、それをひとりで引きずって、家の自転車置き場を作っていた。
2本の小さな「ころ」があれば、大きな岩も平気で運んでいた。
これを一人で一体どうやって?!みたいなものがいっぱいあった。

誰もしないことをしている人は、案外、身近な家族なのかもしれない。

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「…確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」 (イザヤ43:19)。
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神は、道のない所に道を造られ、水のない荒地に川を造られる、まさに先駆者。
イエスさまは、まさに、だれも通ったことのない十字架の道を、
私たちの救いのために、切り開いてくださった。
荒野を行く時でも、このイエスさまを信じて、
一歩一歩、踏み出していきたい。
日々、何ごとかに取り組む中で、
よいアイデアが浮かんだことはあるだろう。
だれもやったことのない事に挑戦する気持ち、忘れずにいたい。

敵に囲まれてピンチの時のエリシャが、戸惑う部下に祈った。
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「主よ、どうか・・目を開き、見えるようにしてください。」(Ⅱ列王記6:17)
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わたしたちも、いつでも、
目を開くことができますように、と、祈っていこう。