人生は出会いから

出会いによって人生が変わることは、
イエスさまとの出会うことによっても起こる。

弟子のシモン・ペトロもそのひとりだった。彼は元・漁師であった。ペトロの姑は、イエスさまによって病気が癒されていた。
その翌日、ペトロの心の変化は、彼の職場であるガリラヤ湖畔で起こる。

ルカ5章1~11節。群衆が、イエスの言葉を聴こうと、湖に押し寄せていた。イエスさまは、岸辺にある二そうの舟を見て、この舟の持ち主だったシモン・ペトロに、陸から少し漕ぎ出すように、彼に頼まれた。そして、舟の上から、群衆を教えられたのだった。

話が少し、はずれますが、
最近、TVをつけると、野球中継が映っていることが多い。春だな、と思う。
野球中継でのカメラの定位置は、センター側から映される。観客席にいる多くの人々は、画面では見えない。

イエスさまは、シモン・ペトロと一緒に舟に乗って、対岸の人々を教えられた。
シモン・ペテロが、センター側の応援席で集まる人々に紛れて、仕事をしていたとしたならば、
そこに急に来られたイエスさまに、ペトロは声をかけられて、そのままバッターボックスに連れてこられたようなことが、
あのガリラヤ湖の岸辺と、湖の上で起こったのだと思った。
イエスさまは、予想だにせぬ時に、ふいにわたしたちのところに現れて、人生を変えられる方である。

話を戻します。
シモン・ペトロは、群衆と対面するように、イエスさまの傍らで、その教える姿を見ることになった。
そしてイエスさまは、夜通し働いて魚がまったく取れなかったペトロに対して、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
シモンは「・・おことばどおり、網をおろしてみましょう」と、イエスさまの言われたとおりにした。
すると、網には大量の魚が入り、舟が沈みそうになった。助けに入った舟も、魚の重みで沈みそうになった。

神の栄光を目の当たりにするとき、人は、人の生まれながらの性質が、神からいかに離れているのかということを示される。
シモン・ペトロはこれを見て、ひれ伏した。「私は罪深い人間ですから、私のようなものから離れてください」と、イエスさまに言った。

しかし、イエスはこう言われた。
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「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。(ルカ5:10)
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ペトロが、ありのままの心を、神の御前に注ぎだした時、
イエスさまは、おそれなくてもよい、と、ペトロを支えてくださった。泣いている子どもが、お母さんに抱きとめられうような、温かさをもって、イエスさまは、ペトロを変えてくださったのだと思う。

自分が砕かれて、ゼロにされて、初めて開かれていく道が、ある。
シモン・ペトロも、わたしたちも、
イエスさまの出会いによって、生き方が、変えられた。

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彼ら(シモン・ペトロ等)は、何もかも捨てて、イエスに従った。(ルカ5:11)
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イエスさまは、このように、私たちのところに、
パッと来られて、おことばを言われて、わたしたちの、人生を、変えられる方である。

イエスさまは、
「恐れることはない」
「わたしについて来なさい」と言われます。
それは、誰も通ったことのないような道かもしれません。

でも、わたしたちは、ひとりひとりが、
主から「呼び出された人」です。
だから、いつも、生活の中で、イエスさまを、慕い求めます。

ひとりひとりが、主から与えられている、召しと賜物があります。
それを携えて、神さまと、人に仕えていきたいです。